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佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

釈尊の考え 2

{ ポイント }
苦しみは無くならない

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●三つの考え・・・

① 因果(いんが)の法則

② 全てのものには構成要素がある

③ 苦しみはどれだけ取り除いても無くならない

 
●「因果の法則」とは・・・

全てのものには、原因と結果がある。

 
●「苦しみはどれだけ取り除いても無くならない」とは・・・

「苦しみ」にも原因があり、
見つけ出して取り除くことができる。
しかし、原因を一つ一つ、どれだけ取り除いても、
「苦しみ」が無くなることはない。

 
●つまり・・・

「苦しみ」が無くなることはないのに、
「苦しみ」を完全に無くしたいと思うから苦しくなる。
どこで何をしていても、
「苦しみ」は有るものだと覚(さと)りながら生きるのが、
一番苦しくなく生きられる。

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≪関連記事≫
釈尊の考え 1
釈尊の生きていた時代背景
五時(ごじ)とは
究極のゴール

 
≪参考文献等≫
・中村元,田村芳朗,末木文美士,福永光司,今野達(編集)(2002)『仏教辞典』岩波書店
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・斎藤一人氏の釈迦に関する話

 
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釈尊の考え 1

{ キーワード }
縁起(えんぎ)

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(一部、ふりがな)

●3種類の「仏教」・・・

①「釈迦(しゃか)仏教」
釈尊(しゃくそん)自身が悟(さと)ったこと。

②「弟子仏教」
釈尊の弟子が、釈尊の考えを纏(まと)めたもの。
例:法華経(ほけきょう)法華三部経(ほっけさんぶきょう)

③「日本仏教」・・・
日本人がアレンジした仏教。

 
●釈尊(しゃくそん)の生涯・・・

自分の苦しみに対する解決策を模索(もさく)し、最終的に覚(さと)った。

 
●覚(さと)りの内容を一言でいうと・・・

縁起(えんぎ)。

 
●縁起とは・・・

自分というものは無い。
自分は空虚(くうきょ)、
中身がない、
空(から)っぽ、
何も無い。

自分の欲求というものは、外の環境に左右されて、湧いてくるもの。
自分の意思で行動しているように見えるだけ。
自分、自分の欲求、自分の意思というものは存在しない。

 
●つまり・・・

人間の苦しみというのは、
もともと自分というものが無いのに、
有るように思い込んでいることが原因。

 
●そう覚(さと)った後、どう生きるか・・・

他人のために生きる。

 
●「他人のために生きる」とは・・・

自分というものは空(くう)、すなわち何も無い。
自分の中から出る欲求は、外部環境に左右される、実体のない幻(まぼろし)。
自分というものは、他人との関係によってのみ成り立っている。
だから、他人のために生きる。

 
●しかしながら・・・

人間は、完全なる覚りの境地では生きていかれない。
だから、理想(覚りの境地)と現実を行ったり来たりしながら生きるしかない。

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(小学五年以上の漢字にふりがな)

●3種類の「仏教(ぶっきょう)」・・・

① 釈尊(しゃくそん)自身が覚(さと)ったこと・・・
「釈尊(しゃくそん)の仏教(ぶっきょう)」

② 釈尊(しゃくそん)の弟子(でし)が、釈尊(しゃくそん)の考えを纏(まと)めたもの・・・
「弟子(でし)がまとめた仏教(ぶっきょう)」
例:法華経(ほけきょう)法華三部経(ほっけさんぶきょう)

③ 日本における仏教・・・
「日本人がアレンジした仏教」

 
●釈尊(しゃくそん)の生涯・・・

自分の苦しみに対する解決策(かいけつさく)を模索(もさく)し、最終的に覚(さと)った。

 
●覚(さと)りの内容を一言でいうと・・・

縁起(えんぎ)。

 
●縁起(えんぎ)とは・・・

自分というものは無い。
自分は空虚(くうきょ)、
中身(なかみ)がない、
空(から)っぽ、
何も無い。

自分の欲求というものは、外の環境に左右されて、湧いてくるもの。
自分の意思で行動しているように見えるだけ。
自分、自分の欲求、自分の意思というものは存在しない。

 
●つまり・・・

人間の苦しみというのは、
もともと自分というものが無いのに、
有るように思い込んでいることが原因。

 
●そう覚(さと)った後、どう生きるか・・・

他人のために生きる。

 
●「他人のために生きる」とは・・・

自分というものは空(くう)、すなわち何も無い。
自分の中から出る欲求は、外部環境に左右される、実体のない幻(まぼろし)。
自分というものは、他人との関係によってのみ成り立っている。
だから、他人のために生きる。

 
●しかしながら・・・

人間は、完全なる覚(さと)りの境地(きょうち)では生きていかれない。
だから、理想(覚りの境地)と現実を行ったり来たりしながら生きるしかない。

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≪関連記事≫
釈尊の考え 2
釈尊の生きていた時代背景
五時(ごじ)とは
究極のゴール

 
≪参考文献等≫
・三木随法 (2002)『真訓対照 法華三部経』東方出版
・武田邦彦(2013)『武田教授の眠れない講義』小学館
・武田邦彦氏の仏教に関する話

 
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法華経とは

{ キーフレーズ }
仏様に出会う

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(難読にのみ振り仮名)

●法華経(ほけきょう)の二大柱(にだいばしら)・・・

二乗作仏(にじょうさぶつ)
久遠本仏(くおんほんぶつ)

 
●久遠本仏(くおんほんぶつ)とは・・・

時間的にも空間的にも遥(はる)かに離れたところからやって来られた仏様に、法華経の中で出会うこと。

時空を超えた仏様に、時空を超えて、法華経の中で、出会うこと。

 
●二処三会(にしょさんね)・・・

二処(にしょ)とは、霊鷲山(りょうじゅせん)と虚空(こくう)の二つの場所で法を説いたことを言う。

三会(さんね)とは、最初に霊鷲山、次に虚空、最後に霊鷲山で法を説いたことを言う。

 
●法華経の読み方 1・・・

最初から順番に読んでいく。

 
●法華経の読み方 2・・・

① 従地涌出品第十五(じゅうじゆじゅつほん だいじゅうご)の後半と、
如来寿量品第十六(にょらいじゅりょうほん だいじゅうろく)と、
分別功徳品第十七(ぶんべつくどくほん だいじゅうしち)の前半を、
最初に読み、仏様(久遠本仏(くおんほんぶつ) )に出会う。
そして、自分が何者なのかを自覚する。
仏様が「あなたがたは私の子供だよ」とおっしゃっていることを感じる。

② そして、最初から順番に読んでいく。

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(小学五年以上の漢字にふりがな)

●法華経(ほけきょう)の二大柱(にだいばしら)・・・

二乗作仏(にじょうさぶつ)
久遠本仏(くおんほんぶつ)

 
●久遠本仏(くおんほんぶつ)とは・・・

時間的にも空間的にも遥(はる)かに離れたところからやって来(こ)られた仏様(ほとけさま)に、法華経(ほけきょう)の中で出会うこと。

時空を超えた仏様(ほとけさま)に、時空を超えて、法華経(ほけきょう)の中で、出会うこと。

 
●二処三会(にしょさんね)・・・

二処(にしょ)とは、霊鷲山(りょうじゅせん)と虚空(こくう)の二(ふた)つの場所で法を説(と)いたことを言う。

三会(さんね)とは、最初に霊鷲山(りょうじゅせん)、次に虚空(こくう)、最後に霊鷲山(りょうじゅせん)で法を説(と)いたことを言う。

 
●法華経(ほけきょう)の読み方 1・・・

最初から順番に読んでいく。

 
●法華経(ほけきょう)の読み方 2・・・

① 従地涌出品第十五(じゅうじゆじゅつほん だいじゅうご)の後半と、
如来寿量品第十六(にょらいじゅりょうほん だいじゅうろく)と、
分別功徳品第十七(ぶんべつくどくほん だいじゅうしち)の前半を、
最初に読み、仏様(ほとけさま)(久遠本仏(くおんほんぶつ) )に出会う。
そして、自分が何者なのかを自覚する。
仏様(ほとけさま)が「あなたがたは私の子供だよ」と仰(おっしゃ)っていることを感じる。

② そして、最初から順番に読んでいく。

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≪参考文献等≫
・三木随法 (2002)『真訓対照 法華三部経』東方出版
・白川静 (2003)『常用字解』平凡社
・『さいこうの法華経講座 はじめに、時空を超えて!』(YouTube動画)

 
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観音経(かんのんきょう)15

【キーフレーズ】
バラバラになる刀

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●原文
彼所執刀杖
【ひ しょ しゅ とう じょう】

●原文(現代字体・現代仮名遣い)
(同上)

●書き下し文
彼の執る所の刀杖、
【彼(かれ)の執(と)る所(ところ)の刀杖(とうじょう)、】

●書き下し文(現代字体・現代仮名遣い)
(同上)

●訳 1
相手が振りかざした刀(かたな)は、

●訳 2
相手の持つ刃物は、

●解説
・刀杖・・・
刀や剣の類の総称。
【・刀杖(とうじょう)・・・
刀(かたな)や剣(つるぎ)の類(たぐい)の総称(そうしょう)。】

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●原文
尋段段壞
【じん だん だん ね】

●原文(現代字体・現代仮名遣い)
尋段段壊
【じん だん だん ね】

●書き下し文
尋いで段段に壞れて、
【尋(つ)いで段段(だんだん)に壊(やぶ)れて、】

●書き下し文(現代字体・現代仮名遣い)
尋いで段段に壞れて、
【尋(つ)いで段段(だんだん)に壊(やぶ)れて、】

●訳
切っ先の方からバラバラと砕けていって、

 
●解説

・「壊(やぶ)る」の意味・・・
「壊(こわ)れる」

・「尋」の意味・・・
「尋(つ)いで」「次(つ)いで」「次々と」
本文では、「刀が切っ先の方から次々と細かく砕けていくさま」。

・「尋」の字源より・・・
「尋」の字源である「同じ種類のものが次々と加わる」の意から、転じて、「次々と」という意。
本文では、「同じ力(ちから)が、刀(かたな)に次々と加わって、切っ先の方からバラバラと細かく砕けていくさま」。

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≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社
・白川静 (2003)『常用字解』平凡社
・『もりの学校』

(アクセス日:2017/6/10)

 
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現代諸学と仏法 9

{ キーワード }
反省

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●本文の大意

反省するには、具体策を提案した教理教法が必要である。

化法(反省行為など、悟るための基礎となる教え)に対する化儀(悟るための具体策を説いた教え)が、持戒、坐禅、読誦である。

これらの行為のバックボーンにあるのが反省行為である。

口では「反省」と簡単に言えるが、実際には「反省する」という事は実に難しい事である。

誰でも、自分のした事はそんなに悪くはない、と思っている。

自己弁護の心理がすぐ働く。

世間に向かっては、合理化の口実を付けて誤魔化したくなり、自分に対しては慰めの理屈を色々と立て、結局、反省はお座成りで終る。

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●解説

・教理(きょうり)・・・
真(まこと)の理(ことわり)を教えている諸々の書物。

・教法(きょうほう)・・・
真(まこと)の法(のり)を教えている諸々の書物。

・化法(けほう)・・・
仏が衆生(しゅじょう)を教え導くために説いた、悟りの定義、意義、基本などを説いた教え。

・化義(けぎ)・・・
仏が衆生(しゅじょう)を教え導くために説いた、悟るための具体策を説いた教え。

・八教(はっきょう)・・・
化義(けぎ)の四教と、化法(けほう)の四教。

・持戒(じかい)・・・
仏の定めた戒(いまし)めを守ること。

・座禅(ざぜん)・・・
心を一つの物事に集中して、散り散りに乱れる心を安らかにさせること。

・読誦(どくじゅ)・・・
仏の教え( 経典(きょうてん)や偈文(げもん) )を声に出して読むこと。

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{ まとめ }
持戒、坐禅、読誦という行いのバックボーンに、「反省」という行いがなければならない。

 
《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/6/5)

 
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現代諸学と仏法 8

【キーワード】
反省

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●本文の大意

仏教の「反省」といふは、世に言ふ「反省」にはあらず。

天台は此(こ)の「反省→自覚」の道筋を「反照観察」といふ。

『止観』大意章の「心の起こす所の善悪の諸念(九界の諸念)に従ひて、無住著の智を以って反照し観察すべし」といふが之(これ)なり。

此(こ)の<反照観>を反省行といふ。

 
●解説

・九界(くかい)・・・
十界(じっかい)のうち、仏界をおきたる九つの境(さかひ)。
六(む)つの、迷ひの境(さかひ)。
三(み)つの、悟りへと向かへる途途(みちみち)の境(さかひ)。
九界(迷ひの境・悟りへ向かへる途途(みちみち)の境)及び悟りの境(さかひ)たる仏界を合はせ、十界(じっかい)といふ。

・住著(じゅうちゃく)・・・
一(ひと)つ所(ところ)に留(と)め居(を)るさま。

・無住著(むじゅうちゃく)・・・
心を一つ境(さかひ)に留(と)めず、悟りへと向かひ続くるさま。

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●本文の大意(訳)

仏教で言う「反省」は、世に言う「反省」ではない。

天台では、この「反省→自覚」の道筋を「反照観察」と言う。

『止観』大意章の「心の起こす所の善悪の諸念(九界の諸念)に従って、無住著の智を以って反照し観察すべし」と言うがこれにあたる。

この<反照観>を反省行と言う。

 
●解説(訳)

・九界(くかい)・・・
十界(じっかい)のうち、仏界を除いた九つの境(さかい)。
六(む)っつの、迷いの境(さかい)。
三(み)っつの、悟りへと向かっている途すがら(みちすがら)の境(さかい)。
九界(迷いの境・悟りへ向かっている途すがら(みちすがら)の境)及び、悟りの境である仏界を合わせて十界(じっかい)という。

・住著(じゅうちゃく)・・・
一(ひと)つ所(ところ)に留(とど)まり続けること。

・無住著(むじゅうちゃく)・・・
心を一つ境(さかい)に留(とど)めず、悟りへと向かい続けること。

・反省 = 反照観察 = 「反省→自覚」の道筋

 
●言葉の意味
・「おく」・・・
除く。
・「居(を)る」・・・
~し続ける

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/6/2)

 
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無量義経(むりょうぎきょう)22

【キーワード】
滴(しずく)

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

無量義經德行品第一
むりょうぎきょう とくぎょうほん だいいち
[ 無量義経徳行品第一 ]

●原文
微渧先墮
み たい せん だ
[ 微渧先堕
み たい せん だ ]

●書き下し文
微渧、先ず墮ちて、
みたい まず おちて
[ 微渧、先ず堕ちて、
みたい まず おちて ]

●訳
乾いた土の上に、水の滴(しずく)が落ちると、

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・微(部首)・・・

ぎょうにんべん(行人偏)

・微(読み)・・・
ビ,ミ
かす(か),ひそ(か)

・微(意味)・・・
① 微(かす)か。ぼぉっとしてはっきり見えない。
② 微(かす)か。小さい。細かい。
例:微細
③ 微(かす)か。ほのか。
例:微風
④ 微(ひそ)か。目立たない。隠れる。
例:微行(意味:目立たぬように歩くこと。)
⑤ わずか。
例:微力(意味:わずかの力)

・微(漢字の成り立ち)・・・
「彳」は、「十字路の左半分」の象形(意味:行(い)く,行(ゆ)く)。
「微」の真ん中の部分は、「草木(くさき)がわずかに芽を出した」象形と「草木(くさき)の根」の象形(意味:①物事の始まり,②わずか)。
「攵」(「攴」)は、「右手に杖(つえ)を持つ」象形(意味:右手に持った杖で物を叩(たた)く )。


・芽が出たばかりで小さい。→
→ ① 微(かす)か。ぼぉっとしてはっきり見えない。
・芽が出たばかりで小さい。→
→ ② 微(かす)か。小さい。細かい。
・芽が出たばかりで小さい。→
→ ③ 微(かす)か。ほのか。
・微(ひそ)かに道を歩く。人目につかずに歩く。→
→ ④ 微(ひそ)か。目立たない。隠れる。
・右手に持った杖で僅(わず)かの力で叩(たた)く。→
→ ⑤ わずか。

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≪参考文献≫
・三木随法 (2002)『真訓対照 法華三部経』東方出版
・白川静 (2003)『常用字解』平凡社

 
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観音経(かんのんきょう)14

【キーワード】

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●原文
稱觀世音菩薩名者
しょう かん ぜ おん ぼ さつ みょう しゃ
[ 称観世音菩薩名者
しょう かん ぜ おん ぼ さつ みょう しゃ ]

●書き下し文
觀世音菩薩の名を稱せば、
かんぜおんぼさつ の な を しょうせ ば
[ 観世音菩薩の名を称せば、
かんぜおんぼさつ の な を しょうせ ば ]

●訳
観世音菩薩の名を称(とな)えたならば、

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●解説
・觀(部首)・・・

みる
・觀(読み)・・・
カン
み(る),み(せる),しめ(す)
・觀(意味)・・・
① 観(み)る。よく見る。細かく見る。注意して見る。
例:観心(かんじん),観測(かんそく)
② 観(み)せる。 観(しめ)す。人々に見せる。
例:観艦式
・觀(漢字の成り立ち)・・・
左側は、「目の周囲が赤く、目が大きい、飾(かざ)り羽根(ばね)のある鸛(こうのとり)」の象形。
古代、この鳥を使って占い(鳥の動きを類型化した鳥占い)をしていた。鳥の動きをよく見て占っていたため、「よく見る」を意味に持つ漢字の一部分に採用された。
・觀(漢字の成り立ち)・・・
「鳥」の象形 +
「目」の象形 +
「人」の象形
→ 「よく見る」
→ 「よく見る」という意味を本質に持つ漢字「觀」の成立。

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≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社
・白川静 (2003)『常用字解』平凡社
・『もりの学校』

(アクセス日:2017/5/29)

 
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無量義経(むりょうぎきょう)21

【キーフレーズ】
真理を広める

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

無量義經德行品第一
むりょうぎきょう とくぎょうほん だいいち
[ 無量義経徳行品第一
むりょうぎきょう とくぎょうほん だいいち ]

●原文
以陀羅尼 無礙辯才
い だ ら に む げ べん ざい
[ 以陀羅尼 無碍弁才
い だ ら に む げ べん ざい ]

●書き下し文
陀羅尼、無礙辯才を以って、
だらに むげべんざい を もって
[ 陀羅尼、無礙弁才を以って、
だらに むげべんざい を もって ]

●訳
陀羅尼(だらに)や人を説得する話術によって、

●解説
・陀羅尼(だらに)・・・
梵語(ぼんご)の発音で唱える一纏(ひとまと)まりの言葉。

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●原文
諸佛轉法輪 隨順能轉
しょ ぶつ てん ぽう りん ずい じゅん のう てん
[ 諸仏転法輪 随順能転
しょ ぶつ てん ぽう りん ずい じゅん のう てん ]

●書き下し文
諸佛の轉法輪、隨順して能く轉ず。
しょぶつ の てんぽうりん ずいじゅん して よく てんず
[ 諸仏の転法輪、随順して能く転ず。
しょぶつ の てんぽうりん ずいじゅん して よく てんず ]

●訳 1
法輪を転ずる諸仏に倣(なら)い、菩薩も法輪を転ずるのである。

●訳 2
諸仏は世の中に真理を広めようとする心を持っている。菩薩もその精神に倣(なら)い、真理を広めているのである。

●解説
菩薩は、その人に応じた教えを説く。
その人に応じた教えを説くのは、法華経の特徴の一つでもある。

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≪参考文献≫
・三木随法 (2002)『真訓対照 法華三部経』東方出版
・白川静 (2003)『常用字解』平凡社

 
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現代諸学と仏法 7

【ポイント】
「法を自覚する」という目標を持って修行する

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●本文の大意

「目標」を持って、歩行禅、座禅などの禅定修行をすること。
「目標」を持たずに、心を「からっぽ」にするだけならば、ただの「お休み」である。ただのストレス解消である。

目を半眼にして背筋を伸ばして身を不動に保つのは、「法を自覚する」という「目標」を達成するためである。
目を半眼にして背筋を伸ばして身を不動に保つことにより、煩悩が出にくくなる。
煩悩が出たり心が乱れたりすると、「目標」は達成できない。

自分の心の中の求道心を通して凡心を反省し、予(かね)て教えられていた法理を想起して仏を求める(「法を自覚する」)という目標を持って、「心を観じ」なければならない。

つまり、仏道修行とは、「反省→自覚」という行為である。

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●解説

・「心を観ずる」・・・
己の心の真(まこと)の姿を観(み)る(観察する)こと。

・「心を観ずる」という行いを通して、「真(まこと)の理(ことわり)を明らかにする」(「法を自覚する」)という「目標」を達成すること。

・dharma・・・
法。法則。理(ことわり)。

・釈尊の悟りが「法」の自覚であるため、仏教においては「法」が教えの中心となる。

・妙法(みょうほう)・・・
「sat」(正しい,真の,善い)+「dharma」(法)
→「Saddharma」(真の法)
→ 妙法

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/24)

 
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