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クイズ 歷し史【へしふみ】(歴史)

儒教に関するクイズ

[Question](カッコ内の数は文字数)
江戸期の( ➁ )支配の確立と、
( ➁ )から脱却するための新思想の要請から、
儒教は広がっていった。
ただし、庶民に広まったのは( ➁ )以降である。

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[Answer]
江戸期の( 武家 )支配の確立と、
( 仏教 )から脱却するための新思想の要請から、
儒教は広がっていった。
ただし、庶民に広まったのは( 明治 )以降である。

 
≪參ね物等【たづね もの など】(参考文献等)≫
・辞書・百科事典
https://www.weblio.jp/cat/dictionary
(アクセス日:2018/8/5)

 
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クイズ 歷し史【へしふみ】(歴史)

平治の乱に関するクイズ

[Question]
(  )年、(  )と(  )が対立し、
(  )が勝った。
(  )の子である(  )は伊豆へ流された。

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[Answer]
( 1159 )年、( 平清盛 )と( 源義朝 )が対立し、
( 平清盛 )が勝った。
( 源義朝 )の子である( 源頼朝 )は伊豆へ流された。

 
≪助け物等【たすけ もの など】(参考文献等)≫
・辞書・百科事典
https://www.weblio.jp/cat/dictionary
(アクセス日:2018/7/17)

 
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歷し史【へしふみ】(歴史)

歴史について

歷し史に就きて
【へし ふみ に つき て】

歴史について
【レキシ に つい て】

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時代の精性や歷し史を分くには、
想ひの上にて其の時代に身を置き、
且つ「何も分からぬ」稚兒の目を以てものを見るべし。
【ときよ の こころ たち や へし ふみ を わく に は、
おもひ の うへ にて その ときよ に み を おき、
かつ「なに も わか ら ぬ」ちご の め を もち て もの を みる べし。】

時代の精神性や歴史を理解するには、
想像の上でその時代に身を置き、
且つ「何も分からぬ」赤子の目でものを見るのがよい。
【ジダイ の セイシンセイ や レキシ を リカイする に は、
ソウゾウ の うえ で その ジダイ に み を おき、
かつ「なに も わから ぬ」あかご の め で もの を みる の が よい。】

 
≪參ね物等【たづね もの など】(参考文献等)≫
・大野晋 (1988)『日本語の文法〈古典編〉』角川書店
・金田一春彦 (1977)『新明解古語辞典』三省堂
・井沢元彦 (1997)『逆説の日本史〈1〉』小学館

 
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歷し史【へしふみ】(歴史)

氏姓制度とは (日本史)

{ ポイント }
氏姓制度 = 管理制度

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●氏姓制度とは・・・

・大和政権が大きくなるにつれて、
それに従う豪族が増えていった。
これら豪族達を管理するための制度が作られた。
その制度の一つが氏姓制度である。

・朝廷が豪族に氏と姓を与えた。

・姓は順位(地位)と職種をあらわす。

 
●氏(うじ)とは・・・
各豪族の一族及び彼らが支配する民を一括(くく)りにした集団の名称。
(例) 蘇我氏,物部氏.

 
●姓(かばね)とは・・・
氏(豪族)に与えられる大和政権内での地位をあらわす称号。

 
●姓による優劣・・・
(身分の高い順に,)

1.大王(おおきみ)
(大王は姓(かばね)ではないが,身分が分かりやすいように一位として記した.)
(天皇や天皇家に姓(かばね)はない.)

2.臣(おみ)
2.連(むらじ)

4.君(きみ)

5.直(あたひ)
5.造(みやつこ)
5.首(おびと)

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●大王(おほきみ)・・・
天皇。

●臣(おみ)・・・
・天皇家の親戚。
・先祖は天照大神(あまてらす おほみかみ)。
・蘇我氏,平群氏(へぐりうじ),葛城氏(かつらぎうじ)など。
・臣(おみ)の職務は今でいう政治家や官僚。
・臣(おみ)の中で一人の最有力者が
大臣(おほおみ)に選ばれた。大臣は今でいう首相。
・「おみ」の語源は「おむ(和む・治む)」。「おむ」が名詞に変化し、「おみ」となった。

●連(むらじ)・・・
天皇家の家来。

 
≪参考文献≫
・渡部昇一 (2011)『決定版・日本史』扶桑社
・竹内睦泰 (2005)『超速!最新日本史の流れ』ブックマン社
・好奇心は放浪中! > 大和政権の内部をちょびっと拝見☆ (11)
https://plaza.rakuten.co.jp/kikimomo15/diary/200502100000/
(アクセス日:2017/8/30)

 
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歷し史【へしふみ】(歴史)

開化天皇

( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

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●代
9代

●幼名(おさなな)

●諱(いみな)

●和風諡号(わふうしごう)(日本書紀)
稚日本根子彦大日日天皇
わか やまと ね こ ひこ おほ ひ ひ の すめらみこと
[ 稚日本根子彦大日日天皇
わか やまと ね こ ひこ おお ひ ひ の すめらみこと ]

●漢風諡号(かんふうしごう)
開化天皇
かいか てんのう
[ 開化天皇
かいか てんのう ]

●父
孝元天皇
こうげん てんのう
[ 孝元天皇
こうげん てんのう ]

●母
欝色謎命
うつ しこ め の みこと
[ 欝色謎命
うつ しこ め の みこと ]

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●同母兄弟
大彦命
おほ ひこ の みこと
[ 大彦命
おお ひこ の みこと ]

●同母兄弟
少彦男心命
すくな ひこ を こころ の みこと
[ 少彦男心命
すくな ひこ お こころ の みこと ]

●同母兄弟
倭迹迹姫命
やまと と と ひめ の みこと
[ 倭迹迹姫命
やまと と と ひめ の みこと ]

倭迹迹日百襲姫命
やまと と と ひ もも そ ひめ の みこと
[ 倭迹迹日百襲姫命
やまと と と ひ もも そ ひめ の みこと ]

●異母兄弟
彦太忍信命
ひこ ふつ おしの まこと の みこと
[ 彦太忍信命
ひこ ふつ おしの まこと の みこと ]

●異母兄弟
武埴安彦命
たけ はに やす ひこ の みこと
[ 武埴安彦命
たけ はに やす ひこ の みこと ]

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大彦命(おほひこのみこと)は、崇神天皇の時代に北陸に派遣された。四道将軍(しどうしょうぐん)の一人。
稲荷山古墳出土鉄剣の銘文に「オホヒコ」とあるが、これが大彦命である。

 
彦太忍信命(ひこ ふつ おしの まこと の みこと)の孫が武内宿禰(たけのうち の すくね)。
つまり、武内宿禰(たけのうち の すくね)は孝元天皇の曾孫(ひまご)(孫の子供)。

古事記より、
彦太忍信命(ひこ ふつ おしの まこと の みこと)

布都御魂大神(ふ つ の み たま の おほ かみ)

布都御魂大神(ふ つ の み たま の おほ かみ)は、石上神宮(いそのかみじんぐう)(奈良県天理市)の御祭神。

 
《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・竹内睦泰 (2016)『古事記の宇宙』青林堂
・井沢元彦 (1997)『逆説の日本史〈1〉古代黎明編』小学館

 
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歷し史【へしふみ】(歴史)

綏靖天皇(すいぜいてんのう)

【キーフレーズ】
兄と弟

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●代
2代

●幼名(おさなな)

●諱(いみな)

●和風諡号(わふうしごう)(日本書紀)
神渟名川耳天皇
かむ ぬ な かは みみ の すめらみこと
[ 神渟名川耳天皇
かん ぬ な かわ みみ の すめらみこと ]

●漢風諡号(かんふうしごう)
綏靖天皇
すいぜいてんのう
[ 綏靖天皇
すいぜいてんのう ]

●父
神武天皇
じんむてんのう
[ 神武天皇
じんむてんのう ]

●母(日本書紀)
媛蹈鞴五十鈴媛命
ひめ た たら い すず ひめ の みこと
[ 媛蹈鞴五十鈴媛命
ひめ た たら い すず ひめ の みこと ]

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●異母兄
手研耳命
た ぎし みみ の みこと
[ 手研耳命
た ぎし みみ の みこと ]

●同母兄
神八井耳命
かむ や ゐ みみ の みこと
[ 神八井耳命
かむ や い みみ の みこと ]

●妻(日本書紀)
五十鈴依媛命
い すず より ひめ の みこと
[ 五十鈴依媛命
い すず より ひめ の みこと ]

●皇居
葛城高丘宮
かづらき の たかおか の みや

●事績など
神武天皇の崩御後、庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は、天皇の位をねらい、異母弟の神八井耳命(かんやいみみのみこと)・神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)を殺そうと企(くわだ)てた。
しかし、二人の弟は、この陰謀を察知し、手研耳命(たぎしみみのみこと)を襲い、殺害した。
そして、神八井耳命は祭祀王(さいしおう)(神主)に、神渟名川耳尊は天皇になった。

葛城高丘宮(皇居)は、葛城一言主神社(祭神:一言主大神 = 事代主)の近辺にある。
母が事代主の娘の姉で、妻が事代主の娘の妹。
綏靖天皇は、事代主との関りの深い場所に皇居を構えた。

葛城の地には、第2代天皇から第9代天皇の時代に宮(皇居)が置かれていた。
すなわち、初期大和朝廷の中心地は葛城の地(奈良盆地南部)であった。

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神八井耳命(かむ や い みみ の みこと)の子孫が太安万侶(おお の やす ま ろ)。

 
●その他
天皇は祭祀(国体,国家形態)と統治(政体,政治形態)を分けるのが一般的だった。これは日本の国の特徴でもあり、過去現在未来へと繋(つな)がっている形態でもある。

 
《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・竹内睦泰 (2016)『古事記の宇宙』青林堂
・井沢元彦 (1997)『逆説の日本史〈1〉古代黎明編』小学館

 
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歷し史【へしふみ】(歴史)

神武天皇 1

( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

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●代
初代

●幼名(おさなな)
狭野尊
さ の の みこと

●諱(いみな)
彦火火出見
ひこ ほ ほ で み

●和風諡号(わふうしごう)
神倭伊波禮毘古天皇
かむ やまと い は れ ひ こ の すめらみこと
[ 神倭伊波礼毘古天皇
かむ やまと い わ れ ひ こ の すめらみこと ]

●漢風諡号(かんふうしごう)
神武天皇
じんむてんのう
[ 神武天皇
じんむてんのう ]

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●父
天津日高日子波限建鵜草葺不合命
あま つ ひ こ ひ こ な ぎさ たけ う がや ふき あへず の みこと
[ 天津日高日子波限建鵜草葺不合命
あま つ ひ こ ひ こ な ぎさ たけ う がや ふき あえず の みこと ]

●母
玉依毘賣命
たま より ひ め の みこと
[ 玉依毘売命
たま より ひ め の みこと ]

●祖父
火遠理命
ほ お り の みこと

●祖母
豐玉毘賣命
とよ たま ひ め の みこと
[ 豊玉毘売命
とよ たま ひ め の みこと ]

 
●言葉の意味
・諡(おくりな)・・・
生きていた時の行(おこな)いに基づいて亡くなった後(あと)に贈られる呼び名。
( 生前の功績に基づいて崩御後に贈られる称号。)
諡(おくりな)には、和風諡号(わふうしごう)と漢風諡号(かんふうしごう)の2種類がある。
・諱(いみな)・・・
氏名しめい(苗字と名前)のうち、名(名前)のほう。

 
●その他
・神武天皇の父の名は古事記の中で二番目に長い神名。

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《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫

 
《今日の言葉》
「あなたの父と母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が賜(たまわ)る地で、長く生きることができる」
出エジプト記20章12節

 
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文武天皇 1

【キーセンテンス】
「天皇」が先で「日本」が後

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●第42代文武(もんむ)天皇の略歴

名は軽皇子(かるのみこ)。
草壁皇子(くさかべのみこ)の第一皇子。
母は元明天皇。

689年(持統3)7歳のとき皇太子であった父の草壁皇子と死別。
祖母の持統天皇の庇護のもとで育てられた。

697年(文武1)、持統天皇譲位により即位。
( 702年(大宝2)までは、祖母の持統太上(じとうだじょう)天皇が文武の政治を助けた )

701年(大宝1)、大宝律令が制定された。

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●第42代文武天皇に関する重要事項

701年に「大宝律令」という独自の法律を作った。

「日本」という独自の国号を作った。

「天皇」という称号は、第40代天武天皇が初めて使った。
つまり、「天皇」が先で、「日本」が後。

 
≪参考文献≫
・竹内睦泰 (2016)『古事記の宇宙』青林堂
・渡部昇一 (2011)『決定版・日本史』扶桑社
・井沢元彦 (1997)『逆説の日本史〈1〉古代黎明編』小学館

 
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持統天皇 1

なぜ持統天皇は天皇になったのか?

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夫は天武天皇。
持統天皇は、天皇になる資格はあったが、なる気はなかった。

では、なぜ天皇になったのか?

これは、推古天皇が天皇になった経緯と関わりがある。

推古天皇は、自分の息子を天皇にしたかった。
息子の竹田皇子(たけだのみこ)がある程度成長したら、位を譲るつもりで、天皇になった。

ちなみに、皇極天皇、斉明天皇は、天智天皇が天皇になれない理由があった(神道における祝詞の中に記されている罪を犯していた)ために、天皇にならざるを得なかった。

持統天皇は天武天皇との間に草壁皇子(くさかべのみこ)という息子がいた。
この息子を天皇にしたかった。
そして、ライバルの大津皇子(おおつのみこ) を謀反の疑いをかけて殺した。
しかし、草壁皇子は病いで亡くなった。
それで、草壁皇子の孫が大人になるまで持統天皇は中継(なかつ)ぎとして天皇をした。
初めて太上(だじょう)天皇になった。
つまり、太上天皇の例が持統天皇でつくられた。
しかも女帝でつくられた。

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≪参考文献≫
・竹内睦泰 (2016)『古事記の宇宙』青林堂
・渡部昇一 (2011)『決定版・日本史』扶桑社
・井沢元彦 (1997)『逆説の日本史〈1〉古代黎明編』小学館

 
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天武天皇 1

【キーフレーズ】
「天皇」という称号

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第40代 天武天皇

 
「天皇」という称号を初めて使った。
「大王(おほきみ)」から「天皇」に。

 
天皇家(天皇と皇族)中心の政治形態をとり、大臣を置かず、皇后や皇子を重用した。
これを皇親政治(こうしんせいじ)という。
皇親とは皇族のこと。

 
壬申の乱
古代史上最大の内乱。皇位争奪の戦い。
大友皇子(天智天皇の息子)・中央の豪族 VS 大海人皇子(天智天皇の弟)・地方の豪族
大海人皇子側が勝利したため、中央の豪族たちが天皇に文句を言えなくなった。
ここで天皇の権威が高まった。

 
大海人皇子は地政学を学んでいて、関所を設けて戦いに備えるなど、兵法(攻め方・守り方)を熟知していた。
だから後に、名前に「武」と言う字が付けられた。

戦いの際には、奇門遁甲(天界の運行)のような方位術、占いも用いた。
気象条件に応じて戦術を立てた。
だから後に、名前に「天」という字が付けられた。

これらを踏まえて、「天武」という名前は大海人皇子にとってふさわしい名前だった。

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古事記と日本書紀の作成を発案し、部下に作成を命じた。

●身長
175㎝

●好きな色

●好きな神獣
朱雀

●性格
理想主義者で寂しがりや。

●妻
愛妻家だが、妻は10人いた。

 
≪参考文献≫
・竹内睦泰 (2005)『超速!最新日本史の流れ』ブックマン社
・渡部昇一 (2011)『決定版・日本史』扶桑社
・井沢元彦 (1997)『逆説の日本史〈1〉古代黎明編』小学館

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≪今日の言葉≫
「歴史のなかにわれわれの未来の秘密が横たわっている」
岡倉天心

 
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