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言の葉【ことのは】

「み」の音霊(おとだま)

「み」は「満つ」(「多い」の意)が語源。
大昔は、数の数えは、「一」「二」までしかなく、それ以上は「満つ」から「み」と呼んだ。

「み」のおとこころは「かたちあるもの」。

かたちあるもの」とは、実際じっさい存在そんざいして、姿すがたかたちのあるもの。

「み」のつく言葉(ことば)...身(み)・見た目(みため)・鏡(かがみ)・水(みず)・波(なみ)・満(み)たす・皇子(みこ)・皇女(みこ)・天皇(すめらみこと)・神(かみ)・三(み)・三輪山(みわやま)・南(みなみ)・道(みち)。

かみ・・・「か」(ちから)と「み」(かたちあるもの)がわさったもの。

かがみ・・・「か」(ちから)がどんどんして、「み」(かたちになる)になる
「かが」・・・おなおとつづくときは、そのこと次々つぎつぎけずにこることをしめす。

「み」の数霊かずたま

「み」のおとこころは「かたちあるもの」。

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《参考文献》
吉野信子(2015)『カタカムナ 言霊の超法則』

 
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風姿花伝/世阿弥

世阿弥『風姿花伝』 (100分 de 名著)
土屋 惠一郎

風姿花伝は理論的に能楽を解説している書物ですが、今の時代にも役立つことが沢山書かれています。しかしながら、能楽の知識がないと何が言いたいのかよく分かりません。

本書では、能楽の評論家として有名な土屋氏が、はじめに能楽とはどんなものであるのかを分かりやすく解き明かします。その後に、現代人にも役立つような風姿花伝の読み方を提示します。

世阿弥は能楽の父と言われている人です。当時、彼は芸能という不安定な人気商売に身をおいていました。そのため、その中で生き残るにはどうすればいいか、どのように芸を磨くべきかを必死で考えました。そうした試行錯誤の結果をまとめたものが風姿花伝です。

本書は、人に興味を持たせる表現方法、自分の芸を上達させる方法など、誰にでもすぐに使えるコツが章ごとに書かれています。

風姿花伝の他の解説書では理解できなかった箇所を、土屋氏が内容をイメージしやすいように解説しています。私は、この本で全体像を掴むことができ、原書もきちんと読んでみたくなりました。

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≪參ね物(參考文獻)【たづね もの(サンコウ ブンケン)】≫
・林達夫ほか (1972)『世界大百科事典』平凡社
・金田一春彦 (1977)『新明解古語辞典』三省堂
・藤堂明保 (1978)『学研漢和大字典』学研プラス

 
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言の葉【ことのは】

「か」の音霊(おとだま)

「か」のおとこころちから重力じゅうりょく

ちからとは、ひと本来ほんらいそなわっているはたらきで、なにかをするときくてはならない根源的こんげんてきはたらき。

ちからとは、ひと最初さいしょからあたえられているはたらきで、なにかをするときくてはならない大元おおもとはたらき。

ちからとは、人間にんげん知恵ちえでははかれないなにものかからさずけられたはたらきで、なにかをするとき絶対ぜったい必要ひつような、一番いちばんっこにあるはたらき。

「か」のつく言葉ことば・・・かみちから

かみ・・・「か」(ちから)と「み」(かたちあるもの)がわさったもの。

かがみ・・・「か」(ちから)がどんどんして、「み」(かたちになる)になる
「かが」・・・おなおとつづくときは、そのこと次々つぎつぎけずにこることをしめす。

「か」の数霊かずたまは25。

「か」のおとこころちから重力じゅうりょく

「か」のおとあたえられたこころちから重力じゅうりょく

「か」のおとこころちから重力じゅうりょく
 

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《参考文献》
吉野信子(2015)『カタカムナ 言霊の超法則』

 
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神話【かみかたり】(神話)

神道の二つ名(しんとう の ふたつな)

神道しんとう二つ名ふたつな(別名べつめい)は惟神道かむながらのみち

「な」は現代げんだい日本語にほんごの「の」。

「かむながら」は「かみがら」。

がら」の意味いみ性質せいしつ性質せいしつとは、まれながらにそなわっているほかくらべて際立きわだっているしるしのこと。

神柄かみがら」とは、かみ元々もともとそなわっている(ほかくらべて)際立きわだっているしるしのこと。

惟神道かむながらのみち」とは、かみ元々もともとそなわっている(ほかくらべて)際立きわだっているしるしわたっているみち

すなわち、神道しんとう(惟神道かむながらのみち)とはかみ御心みこころみち

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≪參ね物(參考文獻)【たづね もの(サンコウ ブンケン)】≫
・林達夫ほか (1972)『世界大百科事典』平凡社
・金田一春彦 (1977)『新明解古語辞典』三省堂
・藤堂明保 (1978)『学研漢和大字典』学研プラス

 
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文花【あやはな】(文学)

大空は 藤原定家(ふじわらのていか)

大空おおぞらは うめのにほひに かすみつつ
くもりもはてぬ はるつき
            藤原定家ふじわらのていか

大空おおぞらうめかおりにたされてかすんでいる。そしてぼんやりとくもったままでいるはるつき...

このうた素晴すばらしいところは「かすみ」という視覚しかくくわえて、「にほひ」という嗅覚きゅうかくにもうったえているところです。
さらに、「にほい」というえないものを「かすみ」というえるものにしてしまいました。えるものとえないものがみだれている...
そして「くもりもはてぬ」とつづき、おぼろげさがしていきます。

本歌ほんかは、

りもせず くもりもはてぬ はる
おぼろ月夜づきよに しくものぞなき
              大江千里おおえのちさと

あかるくもなくくらくもないはるおぼろ月夜づきよ。これにならぶものはない。

大江おおえうた本説ほんせつ(うたつくさいもとにしたぶん)は、

不明不暗朧朧月
     白氏文集はくしもんじゅう
めいならずあんならず朧朧ろうろうたるつき

どれも、ぼんやりとしたはるんでいるすぐれたうたです。

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≪參ね物(參考文獻)【たづね もの(サンコウ ブンケン)】≫
・林達夫ほか (1972)『世界大百科事典』平凡社
・金田一春彦 (1977)『新明解古語辞典』三省堂
・藤堂明保 (1978)『学研漢和大字典』学研プラス

 
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文花【あやはな】(文学)

花は散り 式子内親王

花は散り その色となく ながむれば
むなしき空に 春雨ぞ降る
             式子内親王しきしないしんのう

(はなはちり そのいろとなく ながむれば むなしき
そらに はるさめぞふる)

桜の花が散って、何を眺めるというのでもなく、ぼんやりとしている。何もない空に春雨が降っている。

平安時代の終わり頃に詠まれた歌です。天皇すめらみことによるまつりごとが終わろうとしていました。また、式子の人生も終わろうとしていました。桜が散るのを見た式子内親王は、色々なものを重ね合わせながら歌を詠みました。

かたは、人並外れて頭が良く、たくみなわざを使いこなしながら、気持ちを火のように燃え立たせて多くの歌を作りました。心の内に盛りあがる気持ちをうたに表したいという思いが彼女の全ての歌に含まれています。
式子の歌は、藤原定家ふじわらのていかの歌作りのわざに万葉歌詠み人うたよみびとあふれ出る思いが混ざっています。これこそが、巧みな技をいしづえとして美しさを表そうとうする行いです。

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・林達夫ほか (1972)『世界大百科事典』平凡社
・金田一春彦 (1977)『新明解古語辞典』三省堂
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