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悟りとは 1

●悟りの状態とは・・・

「自分」という関数が成り立たない。

全てを平等に重要とみることが出来る。

どれが重要なのか分からない。

石と母親とどっちが重要か分からない。

何物とも関係が結ばれていない。

 
●なぜ、「どれが重要なのか分からない」か?・・・

悟っている人には自分(自我)が無いから。

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何も重要と思わない人は、
何も見えない。
言い換えれば、
全てを重要と感じる人は、
全てが重要に見える。

全てのものが、
同じように重要だと感じる状態が、
釈尊の悟りの境地。

完全にスコトーマがはずれている。

宇宙を、
すべて平等に(全く同じ重要性で)
見ることができる。

「全てを見ることができる」=
「自分が完璧に見えている」

自分自身をはっきり見ることができる。

 
{ ポイント }
悟りとは、
自分(自我)が無い状態。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
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「自分」という関数

{ ポイント }
「自分」という関数は、
重要度順に並べ替える関数。

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●関数とは・・・

ある物[A]を、
あるブラックボックスに入れると、
ブラックボックスから
何か[W]が出てくる。
このとき、
そのブラックボックスを関数という。
また、
「[W]は[A]の関数である」
という。

 
●「自分」という関数・・・

「自分」という関数は、
自分にとって重要と感じる順番に、
「宇宙」に存在する物事を並び替える関数。

つまり、
関数「自分」は、
重要度順に並べ替える関数、
評価関数といえる。

例えば、「宇宙」の中から、
「自分の住んでいる土地」
「見知らぬ人」
「自分の肉体」
という3個を選ぶ。

これを
「自分」という関数(ブラックボックス)
に入れると、
「自分の肉体」、
「自分の住んでいる土地」、
「見知らぬ人」
と、自分にとって重要と感じる順番に
並び替えられて、
「自分」という関数(ブラックボックス)から出てくる。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
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中観派(ちゅうがんは)とは
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空(くう)とは 1

{ ポイント }
悟りの内容の一部分

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●自分について・・・

自分の定義は、
「父は~」、
「母は~」、
「住所は~」...
自分のとって重要と思うものから挙げていき、
どんどん細かく挙げていく。

自分というものを
徹底的に定義しようとすればするほど、
自分とは関係なくなっていく。

 
●点について・・・

数学における点の定義は、
ユークリッド幾何学において、
「線分の端」または
「円の中心」または
「線と線が交わるところ」。

点を見ようとしても、
見ることはできない。
なぜなら、
幅がないものが線だから
本当の線を見ることはできない。
線を見ることができない
ということは、
点も見ることができない。

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●空(くう)・・・

「自分」も「点」も、
見ようとしても、
見ることができない。

すなわち、
「自分」も「点」も空(くう)である。

これが、空(くう)
( = 縁起(えんぎ) )
の思想である。

 
●「空(くう)」と「悟り」の関係・・・

悟りの内容は、
「言語の世界」 +
「非言語の世界」。

空の思想は、
釈尊が
言葉では語り尽せない
悟りというものを、
可能な限り語ったものである。

つまり、空の思想は、
悟りの内容の一部分である。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
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座禅(ざぜん)とは

{ キーワード }
考える

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●正しい座禅・・・

座禅中に、
瞑想をする。

 
●間違った座禅・・・

座禅中に、
何も考えないようにする、
無になる。

座禅中に、
雑念がある。

 
●瞑想とは・・・

対象に関する事柄について
考えること。

仏教における瞑想は、
脳をフル回転させて、
脳を徹底的に使って、
「悟りとは何か?」を
徹底的にイメージしたり、
考えたり、
仏を念じたりすること。

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●雑念とは・・・

対象に関係のない事柄について
考えること。
仏教における雑念は、
「腹が減った」とか
余計なことを考えること。

真の禅の先生は、
座禅中に、
瞑想をしていない者を
感じとり、
「パチン」と叩く。

 
●禅宗・・・

臨済宗(りんざいしゅう)、
曹洞宗(そうとうしゅう)などの、
日本の禅宗(坐禅をする宗派)は、
道教がベースととなっている。

道教は無の思想なので、
日本の禅宗は、
無の思想が根本にある。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
釈尊の考え 1
釈尊の考え 2
釈尊の考え 3
釈尊の生きていた時代背景
究極のゴール

 
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唯識派(ゆいしきは)とは

{ キーワード }
アートマン

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●唯識派(ゆいしきは)とは・・・

北伝仏教の流れにある、
中観派(ちゅうがんは)と並ぶ、
二大学派のひとつ。

マイトレーヤを開祖とする。

唯識の思想を説く。

●唯識(ゆいしき)の思想とは・・・

人間には、
「アートマンというものが有る」ことを、
前提とする思想。

「アートマンが実在する」とは、
数学でいえば
「点が実在する」にあたる。

(釈尊は、アートマンが
有るとも無いとも
言っていない。)

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
中観派(ちゅうがんは)とは
中観派(ちゅうがんは)の歴史

 
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釈尊から見た中観派(ちゅうがんは)

{ キーフレーズ }
言語と非言語

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●釈尊から見た中観派(ちゅうがんは)・・・

論理的には
釈尊の教えであるが、
論理と非論理の両方を極めたものが
釈尊の悟りである。

言語で語られる「縁起」と
言語で語ることの出来ない「体感」による悟りの
両方を極めたものが
釈尊の悟りであり、
真実の悟りの内容である。

「徹底的に考え、
最後は思考を超えなさい」
これが、
釈尊の仰(おっしゃ)ったこと。

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●釈尊派・・・

原始仏教。
釈迦仏教。

中観派(ちゅうがんは)の
空(くう)の思想という
「論理」と、
体感による悟りという
「非論理」の
両方を極めたもの。

 
≪関連記事≫
中観派(ちゅうがんは)とは
中観派(ちゅうがんは)の歴史

 
≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
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中観派(ちゅうがんは)とは

{ キーフレーズ }
言葉を重視

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●中観派(ちゅうがんは)とは・・・

北伝仏教の流れにある、
唯識派(ゆいしきは)と並ぶ、
二大学派のひとつ。

ナーガールジュナを開祖とする。

空(くう)の思想を説く。

 
●「空(くう)」の思想とは・・・

全ての「存在」は、
他との「関係」によってのみ
成立する。

「関係」が出来た後、
「存在」が出来る。

 
●中観派(ちゅうがんは)の特徴・・・

論理重視。
言葉を重視する。

そして、語り尽したあとで、
「それも空(くう)、
何も語っていない」
という。

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●ナーガールジュナの書いた『中論(ちゅうろん)』・・・

誤った「空(くう)」に対する考え方を、
論理で、論破する書物。

 
●ツォンカパ・・・
中観派(ちゅうがんは)の仏教徒。

 
●ツォンカパの思想・・・

「ナーガールジュナは何も語っていない」
「中論(ちゅうろん)は何も語っていない」
「空(くう)の思想は何も語っていない」
「私も何も語っていない」

なぜなら、「空(くう)」の思想は、
「存在するものは無い」という思想だから。

 
●ゲルグ派・・・

ツォンカパが始めた宗派。
ダライ・ラマ14世はゲルグ派。
現在のチベット密教の中心流派。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
中観派(ちゅうがんは)の歴史
釈尊から見た中観派(ちゅうがんは)

 
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中観派(ちゅうがんは)の歴史

{ キーフレーズ }
北伝仏教の流れ

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●中観派(ちゅうがんは)の歴史 1・・・

釈尊(しゃくそん)が
菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟った内容は、

南伝仏教では、
「縁起(えんぎ)」、

北伝仏教では、
「空(くう)」、

と呼ばれている。

後から作られた北伝仏教が、
「縁起」のことを
「空」と言い換えた。

北伝仏教は、
釈尊の死後、500年経って、
サンスクリット語に訳して経典を残していった。

北伝仏教の流れが、
中観派(ちゅうがんは)や
唯識派(ゆいしきは)。

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●中観派(ちゅうがんは)の歴史 2・・・

南伝仏教では、
ある時期から
論理を積み重ねる仏教が流行し、
それが、
北伝仏教に受け継がれ、
中観派(ちゅうがんは)ができた。

中観派は、
言葉を使い、
論理を固めていった。
それが
論理重視の日本仏教学者に
引き継がれている。

 
≪関連記事≫
中観派(ちゅうがんは)とは
釈尊から見た中観派(ちゅうがんは)

 
≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
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釈尊と言語

{ ポイント }
日常会話で使う言葉

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●釈尊が弟子に命じたこと・・・

釈尊は弟子に対し、
日常で使っている言葉(口語)で
教えを語っていて、
弟子にもそうするように命じた。

「文語では、
自分の思いが
そのまま伝わらない」

「文語にしたら、
解釈を間違うおそれがある」

「いつの時代でも
口語で説いて、
文字にしなさい」

「内容を、
できるだけ易しく、
日常会話で語りなさい」

と釈尊はおっしゃった。

 
●釈尊の生きていた時代・・・

パーリ語が口語。
サンスクリット語は文語。
漢語は外国語。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
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魂はあるか?

釈尊は、
輪廻転生、魂、死後の世界を、
「有るとも言えない、無いとも言えない」
「語らない」
という立場をとっている。

 
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究極のゴール

 
≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・末木文美士 (1996)『日本仏教史』小学館

 
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