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佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

無量義経(ムリョウギキョウ)23

{ キーフレーズ }
一滴の法
【ひとしつく の のり】

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⚫︎原文【もとあや】
以淹欲塵
【イ エン ヨク ジン】

⚫︎書き下し【かきくたし】
以て欲の塵を淹し
【もて ほし の ちり を ひたし】

⚫︎訳き【とき】
滴 欲の穢れに浸みて
【しつく ほし の けかれ に しみて】

●説き【とき】
一滴の水なりとも
乾たる土の上に落つは
其処のみ塵立たぬ
一滴の法なりとも
欲の上に落つは
其処のみ欲鎮まる
【ひとしつく の みつ なり とも
ひたる つち の うへ に おつ は
そこ のみ ちり たたぬ
ひとしつく の のり なり とも
ほし の うへ に おつ は
そこ のみ ほし しつまる】
(今言【いまこと】
は:~ならば
法:仏の法【のり:ほとけ の のり】)

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≪参考文献≫
・三木随法 (2002)『真訓対照 法華三部経』東方出版
・やまとことばのみちのく

(アクセス日:2017/8/9)

 
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現代諸学と仏法 11

{ キーフレーズ }
覚(さと)り了(おわ)った

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●本文の大意

梵語のブッダ(仏陀)は
漢語では「覚者」と訳す。

これは「悟った人」の意だが、
悟りとは抑(そもそ)も「唯自覚了(ゆいじかくりょう)」の事である。

「唯(ただ)自(みずか)ら覚り了(おわ)った」者であるから、
「唯自覚了」の者が「覚者」となった。

「唯自覚了」を縮めて「自覚」という言葉になり、これが現代でも盛んに使われている。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/8/6)

 
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十界(じっかい)とは

●十界(じっかい)・・・
九界(迷いの世界・悟りへ向かっている途上の世界)と
悟りの世界である「仏界」を合わせて
十界(じっかい)という。

 
●九界(くかい)・・・

十界のうち、仏界以外の九つの世界(拡がり)。

「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人間界」「天上界」が迷いの世界。

「声聞界」「縁覚界」「菩薩界」が悟りへ向かっている途上の世界。

 
●九界即仏界(くかい そく ぶっかい)・・・

九界すべての中に、仏界が具(そな)わっていること。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店

 
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現代諸学と仏法 10

{ キーフレーズ }
仏界の自覚

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●本文の大意

仏法の反省は、一般的な反省とは違う。
今の自分は、十界(じっかい)のうち、どの界かを反省する。
しかし、反省して、自分が「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」へ行っては何にもならない。
また、反省して、「人間界」「天上界」「声聞界」「縁覚界」へ行く(自覚する)のは、仏法が無くとも自分自身の力で行ける。

ところが、「菩薩界」「仏界」を自覚するような反省だけは、仏法無しでは、<教法>無しでは、絶対に出来ない。
釈尊以来・時代毎に教法は変わって来たが、どの教法でも反省自覚法であったし、この一点は永久不変である。
仏法は反省自覚法である。
反省自覚の智法である。
断じて境法ではない。

●解説
・境法・・・
真実を客観的に追究すること。
・智法・・・
真実を体感で追究すること。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/7/15)

 
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悟りとは 3

{ キーフレーズ }
一つの統合体としての宇宙

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●「悟り」とは・・・

宇宙サイズのゲシュタルトを観れたのが、釈尊。

宇宙を一つの統合体として、
何らかの意味を持つ
一つの統合体として分かった瞬間が、釈尊の悟り。

 
●「宇宙が一つの統合体として分かる」とは・・・

全ての部分が平等に重要と感じること。

 
●釈尊の思い・・・
この悟りをどうやって人に伝えようかと思った。
そして、鹿野園(ろくやおん)で、自分の国の言葉(パーリ語)で悟りについて語った。
その語った内容が、「縁起(えんぎ)」(北伝仏教における「空(くう)」)に関する話。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
悟りとは 1
悟りとは 2
悟りの手順 1
悟りの手順 2
空(くう)とは 1

 
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悟りの手順 2

{ キーフレーズ }
脳を使う

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●悟りの手順・・・

徹底的にに頭を使う。
それをガチャーンと越えて、
宇宙のゲシュタルトを観る。

言語を突き詰めて、非言語に至る。

●頭を使う・・・

神が創った人(ひと)。
神が創った人の脳。

脳を徹底的に使って、考えて考えて、
論理を積み重ねる。

頭を使うことは快感だ。

快感と感じないのは、
「頭を使うことは努力を要する」という考えを刷り込ませた
過去のドリームキラーのせい。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『モーゼが偶像崇拝を禁止した理由 by 中杉弘』(YouTube動画)
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
悟りの手順 1
悟りとは 1
悟りとは 2
釈尊の考え 1
釈尊の考え 2

 
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空(くう)について

{ ポイント }
矛盾」という概念と
「空」という概念で
閉じる。

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西洋哲学では、
一番下は「矛盾」で閉じていて、
一番上は開いていると考える。

 
西洋哲学と東洋哲学を統合して、
一番下は「矛盾」で閉じていて、
一番上は「空(くう)」で閉じている、
そういう巨大な空間が宇宙である、
というのが苫米地英人(とまべち ひでと)氏の定義。

 
これが分かると、
言葉で表現できる最大限の悟りを得られたことになるが、
釈尊の悟りは非言語の領域にある。
体感でしかわからない。
ちゃんと瞑想して、悟りへの体感修行をしないと分からない。

 
つまり、釈尊の悟った内容は
空(くう)の思想でもなければ
縁起(えんぎ)の思想でもないということ。

 
言葉で表現できる範囲内での悟りを得て、
あとは瞑想をして真の悟りを得れば、
名刺に「仏陀(ぶっだ)」(悟った人)と書ける。

今はとりあえず、菩薩(ぼさつ)

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
空(くう)とは
・空(くう)とは 2
悟りとは 1
悟りの手順
釈尊の考え 1

 
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「自分」という関数 2

{ ポイント }
自分という関数は、
特別な関数。

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自分というのは、
宇宙の中からたった一人の自分を選び出す関数である。

 
「犬」という概念は、
全宇宙の中で、過去現在未来にいる
全ての犬を選び出す関数。
無限に近い犬を選び出す関数が
「犬」。

 
「人間」という概念は、
全宇宙の中で、過去現在未来にいる
全ての人間を選び出す関数。
無限に近い人間を選び出す関数が
「人間」。

 
その中で、
「自分」という関数だけは、
時間と空間すべてを超えて、
今の「自分」だけを選び出す関数。
「自分」とは、そういう特別な関数。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
悟りとは 1
・概念(がいねん)とは
「自分」という関数
スコトーマとは
ゴールの設定

 
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悟りとは 2

{ キーワード }
自分・物事・関連づけ

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「自分」の定義・・・

「父は~」、
「母は~」、
「住所は~」...
自分のとって重要と思うものから挙げていき、
どんどん細かく挙げていく。

そうして、宇宙全体にまでなる。

「自分」 =「宇宙全体」となる。

 
●「自分が有る」の定義・・・

「自分にとって重要と感じる物事を、
重要な順番に選んで
並べることができる自分が有る」

「自分と物事を
関連づけることができる」

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悟りとは、
自分とどんな物事とも
関連づけることが出来ない状態。
何物とも関係が結ばれていない状態。

だから、選べない。
どれが重要か分からない。

そんな人はいないが
釈尊はそうだったかもしれないが)、
定義上は、そうなる。

悟っている人は、
アフリカの子供より
日本の子供が大切だと思わない。

釈尊になれ
と言っているわけではなく、
釈尊に近づく修行
(八正道 -はっしょうどう- など)をすること。
そうすると、
宇宙に良いことがある。

八正道は、
悟りの内容の一部分
(言葉で語れる部分)。

釈尊の悟りに近づいていく人が
社会的価値がある。

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{ ポイント }
悟りとは、
自分とどんな物事とも関連づけることが出来ない状態。

 
≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
悟りとは 1
悟りの手順
「自分」という関数
空(くう)とは
釈尊の考え 1

 
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悟りの手順 1

{ キーフレーズ }
言語と非言語

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悟りの手順・・・
脳を徹底的に使って、
論理を積み重ねて、
空(くう)(= 縁起(えんぎ) )の思想を学ぶ。

同時に、
「言語を超えたもの」に到達しなければならない。
「言語を超えたもの」は、
言葉をいくら積み重ねても定義できない。
「言語を超えたもの」は、
体感でのみ得られる。

 
●体感とは・・・
五感や魂など、
自分自身が持つ全てで感じること。

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≪参考文献等≫
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・苫米地英人 (2010)『お釈迦さまの脳科学』小学館
・『釈迦の悟った内容 – 苫米地英人』(YouTube動画)

 
≪関連記事≫
悟りとは 1
「自分」という関数
空(くう)とは
中観派(ちゅうがんは)とは
釈尊の考え 1

 
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