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文花【あやはな】(文学)

万葉集 天海に雲の波立ち

【キーフレーズ】
天(あま)と海(あま)

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柿本人麻呂
(かきのもと の ひとまろ)

萬葉集 巻7 1068

●原文
天海丹 雲之波立 月船
星之林丹 榜隠所見

●訓読
天海に 雲の波立ち 月の船
星の林に 榜ぎ隠る見ゆ

●仮名
あまうみに くものなみたち つきのふね
ほしのはやしに こぎかくるみゆ

●訳
海に波が立ち、船が隠れるように、天(あま)に雲が立ち込め、月が星の中を漂い、隠れてしまった。

●感想
美しい歌。

●時代背景
安倍晴明の先祖である阿倍御主人(あべ の みうし)(キトラ古墳埋葬者)が天文学者として天武天皇に重用されていた時代。
阿倍御主人はかぐや姫に登場。

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●「あま」の語源
水溜(た)まり。
「あむ(合む)」([意味] 合う,集まる,溜まる)が名詞に変化。

●「あ」に音に込められている意(こころ)1
「上へ上へと上がっていく様(さま)」
例:天(あま)

●「あ」に音に込められている意(こころ)2
「命(いのち)・物事に触(ふ)れて心が動く様(さま)」
例:有(あ)る。新(あたら)しい。

●「あ」の数霊(かずたま)
18。

●「天(あま)」の意味
① 人間には見えない世界に在(あ)る天上界。
② 天上界に在(いま)す神。
③ 天上界に在(いま)す神の命(めい)を受けて人間界を治める者。
④ 人間界に対する自然界。
⑤ 大空。

●天(あま)と海(あま)
海は「あま」と読む。
天も「あま」と読む。
『古事記』には〈 「高」の次の「天」は「あま」と読む」 〉とある。

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≪参考文献等≫
・中西進 (翻訳) (1978)『万葉集 全訳注原文付』講談社
・吉野信子 (2015)『カタカムナ 言霊の超法則』徳間書店
・前田富祺 (監修) (2005)『日本語源大辞典』小学館
・やまとことばのみちのく

(アクセス日:2017/5/28)

 
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佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

無量義経(むりょうぎきょう)21

【キーフレーズ】
真理を広める

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

無量義經德行品第一
むりょうぎきょう とくぎょうほん だいいち
[ 無量義経徳行品第一
むりょうぎきょう とくぎょうほん だいいち ]

●原文
以陀羅尼 無礙辯才
い だ ら に む げ べん ざい
[ 以陀羅尼 無碍弁才
い だ ら に む げ べん ざい ]

●書き下し文
陀羅尼、無礙辯才を以って、
だらに むげべんざい を もって
[ 陀羅尼、無礙弁才を以って、
だらに むげべんざい を もって ]

●訳
陀羅尼(だらに)や人を説得する話術によって、

●解説
・陀羅尼(だらに)・・・
梵語(ぼんご)の発音で唱える一纏(ひとまと)まりの言葉。

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●原文
諸佛轉法輪 隨順能轉
しょ ぶつ てん ぽう りん ずい じゅん のう てん
[ 諸仏転法輪 随順能転
しょ ぶつ てん ぽう りん ずい じゅん のう てん ]

●書き下し文
諸佛の轉法輪、隨順して能く轉ず。
しょぶつ の てんぽうりん ずいじゅん して よく てんず
[ 諸仏の転法輪、随順して能く転ず。
しょぶつ の てんぽうりん ずいじゅん して よく てんず ]

●訳 1
法輪を転ずる諸仏に倣(なら)い、菩薩も法輪を転ずるのである。

●訳 2
諸仏は世の中に真理を広めようとする心を持っている。菩薩もその精神に倣(なら)い、真理を広めているのである。

●解説
菩薩は、その人に応じた教えを説く。
その人に応じた教えを説くのは、法華経の特徴の一つでもある。

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≪参考文献≫
・三木随法 (2002)『真訓対照 法華三部経』東方出版
・白川静 (2003)『常用字解』平凡社

 
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文花【あやはな】(文学)

源氏物語 若菜(わかな)17

【キーフレーズ】
気がかりな朱雀院(すざくいん)

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●原文
誰を頼む蔭にてものしたまはむとすらむと
(たれ を たのむ かげ にて ものし たまはむ と すらむ と)

●原文に漢字を付加
誰を頼む蔭にて物し給はむとすらむと

●訳
「~ 誰を頼りにしてお過ごしになるのだろう」と、

●言葉の意味
・「蔭(かげ)」・・・
「(頼みの)綱」「支え」「あて」「よりどころ」「かばってくれるもの」
・「にて」・・・
「~で」「~によって」
〔手段,方法〕の意味の格助詞。
・「ものす(物す)」・・・
「暮らす」「過ごす」
サ行変格活用。
様々な動きを表す言葉の代わりとして用いられる。
本文では、「暮らす」「過ごす」の言葉の代用として用いられている。
・「たまは(給は)」・・・
「お~になる」
補助動詞ハ行四段「給ふ」の未然形。尊敬語。作者または話者からの動作主に向けてのうやまいのこころ
ここでは、朱雀院(話者)から女三の宮(おんなさんのみや)(動作主)に向けてのうやまいのこころ

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●原文
ただこの御ことをうしろめたく思し嘆く。
(ただ この おんこと を うしろめたく おぼし なげく)

●原文に漢字を付加
ただこの御事を後ろめたく思し嘆く

●訳
(朱雀院は、)この女三の宮(おんなさんのみや)だけが気がかりで、お嘆きになられている。

●その他
・「御」のおとは、「おほみ、おほん、おん、お、み」のうち、より調しらべのおとった。
・地の文で用いられる敬語は、作者からのうやまいのこころ
会話文で用いられる敬語は、話者からのうやまいのこころ

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≪参考文献≫
・山岸徳平(校注)(2010)『源氏物語』岩波書店

 
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佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

現代諸学と仏法 7

【ポイント】
「法を自覚する」という目標を持って修行する

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●本文の大意

「目標」を持って、歩行禅、座禅などの禅定修行をすること。
「目標」を持たずに、心を「からっぽ」にするだけならば、ただの「お休み」である。ただのストレス解消である。

目を半眼にして背筋を伸ばして身を不動に保つのは、「法を自覚する」という「目標」を達成するためである。
目を半眼にして背筋を伸ばして身を不動に保つことにより、煩悩が出にくくなる。
煩悩が出たり心が乱れたりすると、「目標」は達成できない。

自分の心の中の求道心を通して凡心を反省し、予(かね)て教えられていた法理を想起して仏を求める(「法を自覚する」)という目標を持って、「心を観じ」なければならない。

つまり、仏道修行とは、「反省→自覚」という行為である。

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●解説

・「心を観ずる」・・・
己の心の真(まこと)の姿を観(み)る(観察する)こと。

・「心を観ずる」という行いを通して、「真(まこと)の理(ことわり)を明らかにする」(「法を自覚する」)という「目標」を達成すること。

・dharma・・・
法。法則。理(ことわり)。

・釈尊の悟りが「法」の自覚であるため、仏教においては「法」が教えの中心となる。

・妙法(みょうほう)・・・
「sat」(正しい,真の,善い)+「dharma」(法)
→「Saddharma」(真の法)
→ 妙法

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/24)

 
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文花【あやはな】(文学)

契沖(けいちゅう)

【キーワード】
古言(ふること)学びの祖(おや)

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●血筋
祖父は加藤清正の絶大な信頼を得ていた家臣であった。
しかし、父が浪人となったため、8人の子供は、出家か養子として家を離れた。

●1640年
摂津(大阪府尼崎市)に生まれる。俗性は下川氏。
幼い時から記憶力に優れ、5歳の時にはすでに、百人一首を諳(そら)んじていた。

●1650年(11才)
大阪今里の妙法寺に入り、出家し真言宗の僧侶となる。
妙法寺では、丯定(かいじょう)を師匠として仏教を学ぶ。
この頃、弘法大師を心の師と仰(あお)いでいた。

●1653年(13才)
高野山に入り、10年間の仏道修行をする。
仏典の研究を専(もっぱ)ら行っていた。
僧の快賢より、仏学、神道、和学(日本古典文学)を学んだ。このことが、契沖を僧侶でありながら国学の道へ進ませた大きな要因となった。
高野山で阿闍梨の位を得る。

●1662年(23才)
高野山を下(お)りて、大阪生玉の曼陀羅院の住職となる。
寺の実務を担当。寺務をこなしながら、古典研究に励む。
この頃に、下河辺長流(しもこうべ – ちょうりゅう)を知り、学問の刺激を受ける。
俗務を嫌い畿内を遍歴する。

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●1666年(27才)
高野山に再び入り修行する。

●1669年(30才)
高野山を下り、高野山と縁のある辻森家(和泉国和泉郡久井村)に5年間寄宿する。
同家所蔵の仏典や漢籍に親しむ。この時の読書が、その後の研究の礎(いしずえ)となった。

●1674年(35才)
伏屋家(和泉国和泉郡万町(まんちょう)村)に寄宿する。
同家所蔵の仏典や漢籍を熟読し、梵語(サンスクリット)語の研究にも励む。

●1678年(39才)
妙法寺の住職となる。

●1681年(42才)
万葉代匠記初稿本に着手する。

●1686年(47才)
万葉代匠記初稿本を書き上げる。

●1690年(51才)
円珠庵に隠棲する。
万葉代匠記精撰本を書き上げる。

●1692年(53才)
百人一首改観抄を書き上げる。

●1693年(54才)
和字正濫従鈔(わじしょうらんしょう)を書き上げる。

●1696年(57才)
万葉集の講義を円珠庵で行う。

●1701年(62才)
円珠庵にて亡くなる。

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《参考文献等》
・久松潜一 (1989)『契沖』吉川弘文館
・小林秀雄 (1992)『本居宣長』新潮社
・『同行二人(第2部)』

(アクセス日:2017/5/23)

 
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佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

現代諸学と仏法 6

【キーワード】
持戒

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●本文
三世諸仏と仏国土との関係というものがある。

 
●解説

・三世諸仏と仏国土との関係・・・
仏国土は仏の数だけある。

・三世(さんぜ)・・・
永(とこしえ)に流れる時間を、過去・現在・未来と三つに区切ったもの。

・三世諸仏(さんぜしょぶつ)・・・
過去・現在・未来にわたって存在するすべての仏。
過去の仏、現在の仏、未来の仏、即ちすべての仏。

・仏国土(ぶっこくど)・・・
悟りを開いた仏が住む浄(きよ)らかな所。
諸仏それぞれの浄土のこと。

・仏のそれぞれの仏国土・・・
阿弥陀如来は西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)。
薬師如来は東方浄瑠璃世界(とうほうじょうるりせかい)。
釈迦如来は霊山浄土(りょうぜんじょうど)。

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●本文
防非止悪(戒)で自ら身口意の三業を規制することに依って、凡身凡心を外側から規制して、規制の強制力で反省させ、その反省をバネにして仏と法を求めさせ、その求道の力で仏界を自覚できるように仕向けている訳です。

 
●解説

持戒する

反省させる

仏と法を求めさせる

仏界を自覚させる

・防非止悪(ぼうひしあく)・・・
非を防ぎ悪を止めること。

・仏の定めた戒律を守ることを持戒という。
持戒は、反省自覚の具体的行為の一つである。

・身(しん)・・・
身体で行うもの。身体的活動。身体動作。

・口(く)・・・
言葉を発すること。言語活動。言語表現。

・意(い)・・・
心で物事を感じたり、考えたりすること。精神活動。精神作用。

・業(ごう)・・・
行い。行為。造作。

・身口意の三業(しんくいのさんごう)・・・
人間の一切の活動。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/23)

 
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歷し史【へしふみ】(歴史)

綏靖天皇(すいぜいてんのう)

【キーフレーズ】
兄と弟

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●代
2代

●幼名(おさなな)

●諱(いみな)

●和風諡号(わふうしごう)(日本書紀)
神渟名川耳天皇
かむ ぬ な かは みみ の すめらみこと
[ 神渟名川耳天皇
かん ぬ な かわ みみ の すめらみこと ]

●漢風諡号(かんふうしごう)
綏靖天皇
すいぜいてんのう
[ 綏靖天皇
すいぜいてんのう ]

●父
神武天皇
じんむてんのう
[ 神武天皇
じんむてんのう ]

●母(日本書紀)
媛蹈鞴五十鈴媛命
ひめ た たら い すず ひめ の みこと
[ 媛蹈鞴五十鈴媛命
ひめ た たら い すず ひめ の みこと ]

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●異母兄
手研耳命
た ぎし みみ の みこと
[ 手研耳命
た ぎし みみ の みこと ]

●同母兄
神八井耳命
かむ や ゐ みみ の みこと
[ 神八井耳命
かむ や い みみ の みこと ]

●妻(日本書紀)
五十鈴依媛命
い すず より ひめ の みこと
[ 五十鈴依媛命
い すず より ひめ の みこと ]

●皇居
葛城高丘宮
かづらき の たかおか の みや

●事績など
神武天皇の崩御後、庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は、天皇の位をねらい、異母弟の神八井耳命(かんやいみみのみこと)・神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)を殺そうと企(くわだ)てた。
しかし、二人の弟は、この陰謀を察知し、手研耳命(たぎしみみのみこと)を襲い、殺害した。
そして、神八井耳命は祭祀王(さいしおう)(神主)に、神渟名川耳尊は天皇になった。

葛城高丘宮(皇居)は、葛城一言主神社(祭神:一言主大神 = 事代主)の近辺にある。
母が事代主の娘の姉で、妻が事代主の娘の妹。
綏靖天皇は、事代主との関りの深い場所に皇居を構えた。

葛城の地には、第2代天皇から第9代天皇の時代に宮(皇居)が置かれていた。
すなわち、初期大和朝廷の中心地は葛城の地(奈良盆地南部)であった。

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神八井耳命(かむ や い みみ の みこと)の子孫が太安万侶(おお の やす ま ろ)。

 
●その他
天皇は祭祀(国体,国家形態)と統治(政体,政治形態)を分けるのが一般的だった。これは日本の国の特徴でもあり、過去現在未来へと繋(つな)がっている形態でもある。

 
《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・竹内睦泰 (2016)『古事記の宇宙』青林堂
・井沢元彦 (1997)『逆説の日本史〈1〉古代黎明編』小学館

 
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神話【かみかたり】(神話)

古事記(ふることふみ)54

【キーフレーズ】
政(まつりごと)と徳

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
道軼軒-后

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
道軒后に軼(す)ぎ。

●原文 2
道軼軒后
ドウ イツ ケン コウ
[ 道軼軒后
ドウ イツ ケン コウ ]

●書き下し文 2
道は軒后に軼ぎ、
みち は けんこう に すぎ
[ 道は軒后に軼ぎ、
みち は けんこう に すぎ ]

●訳 1
天武天皇の行った政道は、黄帝に優(まさ)り、

●訳 2
その道は、黄帝を越え、

●解説
・軼(読み)・・・
イツ,(す)ぎる
・軼(意味)・・・
抜きんでる。優(すぐ)れる。優(まさ)る。
・軒后(けんこう)・・・
漢民族の始祖といわれる伝説上の皇帝。
天武天皇の時代より3000年以上前に、漢民族最初の統一国家を建設したといわれている。
姓は姫、名は軒轅(けんえん)。
軒后=軒皇。

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●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
徳跨周-王

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
徳周王に跨(こ)えたまふ。

●原文 2
德跨周王
トク コ シュウ オウ
[ 徳跨周王
トク コ シュウ オウ ]

●書き下し文 2
德は周王に跨えたまふ。
とく は しゅうおう に こえ たまふ
[ 徳は周王に跨えたもう。
とく は しゅうおう に こえ たもう ]

●訳
徳は周王を越えている。

●解説
・周王・・・
周の文王。
仁政を行い、儒家(じゅか)の模範とされた。

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《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/23)
・古事記をそのまま読む

(アクセス日:2017/5/23)
・南さんちの「つれづれなる記」
(本居宣長大人著『古事記伝』を読んでみよう:第136回)

(アクセス日:2017/5/23)

 
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佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

観音経(かんのんきょう)13

【キーフレーズ】
「観世音」という名前の由来

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●原文
以是因緣 名觀世音
い ぜ いん ねん みょう かん ぜ おん
[ 以是因縁 名観世音
い ぜ いん ねん みょう かん ぜ おん ]

●書き下し文
是の因緣を以って、觀世音と名づくるなり。
この いんねん を もって かんぜおん と なづくるなり
[ 是の因縁を以って、観世音と名づくるなり。
この いんねん を もって かんぜおん と なづくるなり ]

●訳 1
このような因縁で、観世音と呼ばれているのである。

●訳 2
こういうわけで、観世音と名付けられているのである。

●解説
世の中にいる人々の声を聞いて(世の音をて)、助けに来てくださる。だから観世音菩薩という。

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●原文
若復有人 臨當被害
にゃく ぶ う じん りん とう ひ がい
[ 若復有人 臨当被害
にゃく ぶ う じん りん とう ひ がい ]

●書き下し文
若し復た人有りて、當に害せらるべきに臨みて、
もし また ひと ありて まさに がいせらる べきに のぞみて
[ 若し復た人有りて、当に害せらるべきに臨みて、
もし また ひと ありて まさに がいせらる べきに のぞみて ]

●訳 1
もし、ある人が殺害されようとしている時、

●訳 2
もし、ある人が殺されようとしている時、

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≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社

 
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神話【かみかたり】(神話)

徐福伝説

【ポイント】
・徐福=神武天皇
・約束の地
・和合の精神
・天津神と国津神の融合

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シベリアから南下してきた縄文人が日本列島各地で暮らすようになっていた紀元前200年頃の話。

中国大陸を統一していた始皇帝は、ユダヤ教聖書に記されている約束の地を求めて、徐福に蓬莱国(日本)に向かうように命じた。

始皇帝も徐福も、失われたユダヤ10支族のうちのガド族の末裔。

1回目の日本上陸では、全体の地形を把握するために日本各地を見て回る。

2年後、徐福は、10万人を率いて、再び日本へ。

瀬戸内海を通り、淡路島に上陸。

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徐福の目的は、出来るだけ戦(いくさ)を避けながら日本を統一し、「約束の地」をつくること。
そのために、原住民族に米作りや機織りを教えることで、交友関係を築こうと考えた。

淡路島では、田畑を耕し大規模な農業を展開。
日本を統一するための態勢を整えた。

数十年を経て、四国へ渡る。

四国では、徐福集団は民に稲作を教えることで交流を深め、数年後には四国の民衆が徐福を崇めるほどになった。
言語も原住民の言葉を取り入れ、自国語を押し付けなかった。

四国において兵力を増強した後、九州に入る。
高千穂の峰では、九州を平(たい)らげることを神に誓った。

しかし、薩摩隼人(現在の鹿児島県、宮崎県に居住)、熊襲(現在の熊本県に居住)、土蜘蛛などの蛮族がいたため、平定には困難を極めた。

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そのため、方向転換をし、葦原中津國(あしはらのなかつくに)(現在の中国地方)に進軍し、武力衝突なく征服。
これが神武東征。

ここで徐福は、民族和合の信条を基に、天津神と国津神を融合させた。

天津神 = 徐福(渡来系民族,ユダヤ民族)が崇める神,ユダヤ教聖書の神。
国津神 = 縄文人(原住民,土着民)が崇める神々。

そして、原則として、神社の内宮には天津神、外宮には国津神が祭られることになった。

神社には、2匹の蛇の交尾を表す注連縄(しめなわ)が鳥居に飾られ、蛇の目を表す鏡が神殿に置かれた。
これは、縄文人の自然信仰、森信仰、蛇信仰を徐福が尊重したことによる。

また、天津神を守護する2頭の獅子(ライオン)が神殿の前に置かれた。

その後、徐福は日本を統一し、徐福集団は天孫族、徐福は神武天皇と呼ばれることとなった。

徐福のまたの名はジョセフである。

 
《参考文献等》
・中杉弘 (2014)『日本建国の謎に迫る』風塵社
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/20)

 
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