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現代諸学と仏法 12

{ ポイント }
仏教的「反省」 = 「深く考え、きちんと知ること」

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●本文の大意

「反省」は、
「省(かえり)みる」=「顧(かえり)みる」から、
「自分の行動を振り返って、良くなかった点を改善しようと心がけること」
という意味で使われるようになったが、
もともと「反省」とは「沈思量知」のことを指した。

「沈思」は、
「考えることに沈む」→「深く考える」で、
内省、内観、仏教的自己反省のこと。

「量知」は、「量(はか)って知る」。

よって「沈思量知」は、
「深く考え、きちんと知る」ということになる。

沈思量知を縮めて「思量」という用語があり、
「此れ即ち不可なり――何(いか)に為(せ)ん何に為ん学者思量せよ」(末法相応抄)という風に使われていた。
「学ぶ者よ、深く考え、きちんと知れ」と言うことである。

だから「仏法は反省自覚法だ」は、
漢語風に言うと
「仏法は沈思量知唯自覚了法なり」という事になる。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

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現代諸学と仏法 11

{ キーフレーズ }
覚(さと)り了(おわ)った

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●本文の大意

梵語のブッダ(仏陀)は
漢語では「覚者」と訳す。

これは「悟った人」の意だが、
悟りとは抑(そもそ)も「唯自覚了(ゆいじかくりょう)」の事である。

「唯(ただ)自(みずか)ら覚り了(おわ)った」者であるから、
「唯自覚了」の者が「覚者」となった。

「唯自覚了」を縮めて「自覚」という言葉になり、これが現代でも盛んに使われている。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

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現代諸学と仏法 10

{ キーフレーズ }
仏界の自覚

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●本文の大意

仏法の反省は、一般的な反省とは違う。
今の自分は、十界(じっかい)のうち、どの界かを反省する。
しかし、反省して、自分が「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」へ行っては何にもならない。
また、反省して、「人間界」「天上界」「声聞界」「縁覚界」へ行く(自覚する)のは、仏法が無くとも自分自身の力で行ける。

ところが、「菩薩界」「仏界」を自覚するような反省だけは、仏法無しでは、<教法>無しでは、絶対に出来ない。
釈尊以来・時代毎に教法は変わって来たが、どの教法でも反省自覚法であったし、この一点は永久不変である。
仏法は反省自覚法である。
反省自覚の智法である。
断じて境法ではない。

●解説
・境法・・・
真実を客観的に追究すること。
・智法・・・
真実を体感で追究すること。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

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現代諸学と仏法 9

{ キーワード }
反省

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●本文の大意

反省するには、具体策を提案した教理教法が必要である。

化法(反省行為など、悟るための基礎となる教え)に対する化儀(悟るための具体策を説いた教え)が、持戒、坐禅、読誦である。

これらの行為のバックボーンにあるのが反省行為である。

口では「反省」と簡単に言えるが、実際には「反省する」という事は実に難しい事である。

誰でも、自分のした事はそんなに悪くはない、と思っている。

自己弁護の心理がすぐ働く。

世間に向かっては、合理化の口実を付けて誤魔化したくなり、自分に対しては慰めの理屈を色々と立て、結局、反省はお座成りで終る。

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●解説

・教理(きょうり)・・・
真(まこと)の理(ことわり)を教えている諸々の書物。

・教法(きょうほう)・・・
真(まこと)の法(のり)を教えている諸々の書物。

・化法(けほう)・・・
仏が衆生(しゅじょう)を教え導くために説いた、悟りの定義、意義、基本などを説いた教え。

・化義(けぎ)・・・
仏が衆生(しゅじょう)を教え導くために説いた、悟るための具体策を説いた教え。

・八教(はっきょう)・・・
化義(けぎ)の四教と、化法(けほう)の四教。

・持戒(じかい)・・・
仏の定めた戒(いまし)めを守ること。

・座禅(ざぜん)・・・
心を一つの物事に集中して、散り散りに乱れる心を安らかにさせること。

・読誦(どくじゅ)・・・
仏の教え( 経典(きょうてん)や偈文(げもん) )を声に出して読むこと。

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{ まとめ }
持戒、坐禅、読誦という行いのバックボーンに、「反省」という行いがなければならない。

 
《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

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現代諸学と仏法 8

【キーワード】
反省

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●本文の大意

仏教の「反省」といふは、世に言ふ「反省」にはあらず。

天台は此(こ)の「反省→自覚」の道筋を「反照観察」といふ。

『止観』大意章の「心の起こす所の善悪の諸念(九界の諸念)に従ひて、無住著の智を以って反照し観察すべし」といふが之(これ)なり。

此(こ)の<反照観>を反省行といふ。

 
●解説

・九界(くかい)・・・
十界(じっかい)のうち、仏界をおきたる九つの境(さかひ)。
六(む)つの、迷ひの境(さかひ)。
三(み)つの、悟りへと向かへる途途(みちみち)の境(さかひ)。
九界(迷ひの境・悟りへ向かへる途途(みちみち)の境)及び悟りの境(さかひ)たる仏界を合はせ、十界(じっかい)といふ。

・住著(じゅうちゃく)・・・
一(ひと)つ所(ところ)に留(と)め居(を)るさま。

・無住著(むじゅうちゃく)・・・
心を一つ境(さかひ)に留(と)めず、悟りへと向かひ続くるさま。

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●本文の大意(訳)

仏教で言う「反省」は、世に言う「反省」ではない。

天台では、この「反省→自覚」の道筋を「反照観察」と言う。

『止観』大意章の「心の起こす所の善悪の諸念(九界の諸念)に従って、無住著の智を以って反照し観察すべし」と言うがこれにあたる。

この<反照観>を反省行と言う。

 
●解説(訳)

・九界(くかい)・・・
十界(じっかい)のうち、仏界を除いた九つの境(さかい)。
六(む)っつの、迷いの境(さかい)。
三(み)っつの、悟りへと向かっている途すがら(みちすがら)の境(さかい)。
九界(迷いの境・悟りへ向かっている途すがら(みちすがら)の境)及び、悟りの境である仏界を合わせて十界(じっかい)という。

・住著(じゅうちゃく)・・・
一(ひと)つ所(ところ)に留(とど)まり続けること。

・無住著(むじゅうちゃく)・・・
心を一つ境(さかい)に留(とど)めず、悟りへと向かい続けること。

・反省 = 反照観察 = 「反省→自覚」の道筋

 
●言葉の意味
・「おく」・・・
除く。
・「居(を)る」・・・
~し続ける

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/6/2)

 
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現代諸学と仏法 7

【ポイント】
「法を自覚する」という目標を持って修行する

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●本文の大意

「目標」を持って、歩行禅、座禅などの禅定修行をすること。
「目標」を持たずに、心を「からっぽ」にするだけならば、ただの「お休み」である。ただのストレス解消である。

目を半眼にして背筋を伸ばして身を不動に保つのは、「法を自覚する」という「目標」を達成するためである。
目を半眼にして背筋を伸ばして身を不動に保つことにより、煩悩が出にくくなる。
煩悩が出たり心が乱れたりすると、「目標」は達成できない。

自分の心の中の求道心を通して凡心を反省し、予(かね)て教えられていた法理を想起して仏を求める(「法を自覚する」)という目標を持って、「心を観じ」なければならない。

つまり、仏道修行とは、「反省→自覚」という行為である。

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●解説

・「心を観ずる」・・・
己の心の真(まこと)の姿を観(み)る(観察する)こと。

・「心を観ずる」という行いを通して、「真(まこと)の理(ことわり)を明らかにする」(「法を自覚する」)という「目標」を達成すること。

・dharma・・・
法。法則。理(ことわり)。

・釈尊の悟りが「法」の自覚であるため、仏教においては「法」が教えの中心となる。

・妙法(みょうほう)・・・
「sat」(正しい,真の,善い)+「dharma」(法)
→「Saddharma」(真の法)
→ 妙法

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

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現代諸学と仏法 6

【キーワード】
持戒

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●本文
三世諸仏と仏国土との関係というものがある。

 
●解説

・三世諸仏と仏国土との関係・・・
仏国土は仏の数だけある。

・三世(さんぜ)・・・
永(とこしえ)に流れる時間を、過去・現在・未来と三つに区切ったもの。

・三世諸仏(さんぜしょぶつ)・・・
過去・現在・未来にわたって存在するすべての仏。
過去の仏、現在の仏、未来の仏、即ちすべての仏。

・仏国土(ぶっこくど)・・・
悟りを開いた仏が住む浄(きよ)らかな所。
諸仏それぞれの浄土のこと。

・仏のそれぞれの仏国土・・・
阿弥陀如来は西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)。
薬師如来は東方浄瑠璃世界(とうほうじょうるりせかい)。
釈迦如来は霊山浄土(りょうぜんじょうど)。

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●本文
防非止悪(戒)で自ら身口意の三業を規制することに依って、凡身凡心を外側から規制して、規制の強制力で反省させ、その反省をバネにして仏と法を求めさせ、その求道の力で仏界を自覚できるように仕向けている訳です。

 
●解説

持戒する

反省させる

仏と法を求めさせる

仏界を自覚させる

・防非止悪(ぼうひしあく)・・・
非を防ぎ悪を止めること。

・仏の定めた戒律を守ることを持戒という。
持戒は、反省自覚の具体的行為の一つである。

・身(しん)・・・
身体で行うもの。身体的活動。身体動作。

・口(く)・・・
言葉を発すること。言語活動。言語表現。

・意(い)・・・
心で物事を感じたり、考えたりすること。精神活動。精神作用。

・業(ごう)・・・
行い。行為。造作。

・身口意の三業(しんくいのさんごう)・・・
人間の一切の活動。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/23)

 
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現代諸学と仏法 5

【キーフレーズ】
反省と自覚

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●本文
六道九界(ろくどう くかい)を反省して仏界を目指し、修行して自覚してそれを得るから「九界即仏界」が実現する。
九界を反省して自覚するから初めて仏界の身に成り得る。
これ以外に「九界即仏界」を実現できる道筋は無い。

 
●解説

・六道(ろくどう)・・・
迷いあるものが輪廻し続ける6種類の世界(世,拡がり)。
「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人間道」「天道」。

・九界(くかい)・・・
十界のうち、仏界以外の九つの世界(拡がり)。
「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人間界」「天上界」が迷いの世界。
「声聞界」「縁覚界」「菩薩界」が悟りへ向かっている途上の世界。
九界(迷いの世界・悟りへ向かっている途上の世界)と悟りの世界である仏界を合わせて十界(じっかい)という。

・九界即仏界(くかい そく ぶっかい)・・・
九界すべての中に、仏界が具(そな)わっていること。

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●本文
この反省自覚の「道筋と具体策」を教えているのが仏法である。
持戒、禅定、読誦などが、「道筋と具体策」である。

 
●解説

・持戒(じかい)・・・
仏の定めた戒律を守ること。

・禅定(ぜんじょう)・・・
心を一つの物事に集中して、散り散りに乱れる心を安定させること。

・読誦(どくじゅ)・・・
経典(きょうてん)や偈文(げもん)などを声をあげて読むこと。

 
《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
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《今日の言葉》
おのれのみを拠り所よりどころとし、のりのみを拠り所よりどころとせよ」
釈尊

 
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現代諸学と仏法 4

【キーフレーズ】
無と有

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⚫︎本文

「仏法は反省自覚法である」と言うと、現代の新説の様に受け取られかねない。
仏法は論理的にも倫理的にもすべて反省自覚法。
己の心の「妙と法」を観ずること。
止観すること。

 
⚫︎解説

妙= 無、0、空、何もない、無分別、非論理
法=有、1、色、何かがある、分別、論理

無から有が生まれるにあらず。
無も有も同じもの。
人間の心が無とみるか有とみるかだけのこと。

真理は哲学や科学や客観的分析では到達できない。
真理は釈尊の教えを信じ、釈尊の境涯に近づくような行為が必要。
真理 = 死んだり生まれたりすることのない永遠の命。

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・観(かん)ずる・・・しっかりと集中して見る。対象と自己を同一化させる。
・観じている時、人はその対象そのものになっている。「観る」は、「見る」や「眺める」とは違う。
仏教成立以前は、「観」には「神と人の一体化」という意味が含まれていた。

・止観・・・
「止」と「観」を合わせた語。
止とは精神を一つの対象に集中し、心が静まった有様(ありさま)。
止は観の準備段階。
観は対象をあるがままに観察すること。
止観をすれば、智慧の働きによって、真理を感得する(一切を明らかにする)ことができる。

 
《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
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《今日の言葉》
「世の中の良きもしきもことごとに神の心の仕業しわざにぞある」
本居宣長

 
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現代諸学と仏法 3

【キーワード】
観心(かんじん)

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●本文

仏法では、我が己心(心法)に就(つ)いて、反省→自覚で得た「一如の境智=仏界」を「観心」と言い、これが仏道修行の目標な訳です。

 
●解説

・己心(こしん)・・・
自己の心。

・心法(しんぽう)・・・
仏教においては、一切のものを色法(しきほう)か心法(しんぽう)かに分類する。
物質的なものが色法。精神的なもの、即ち心の働きのあるものが心法。

・一如・・・
異ならず、一つのものであること。
・境・・・
客観世界。
・智・・・
主観世界。
・一如の境智・・・
主観世界(主体)と客観世界(客体)が一つのものであること。
自分とそれ以外が一つのものであること。

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・仏界とは十界の一つ。

・仏界の諸解釈
①真理を悟った者が体現した究極の境地。
②真理を悟った者の究極の心的境地。
③壊(こわ)れない自由自在の状態(常)、
生きること自体を楽しむ状態(楽)、
何物にも左右されない主体性がある状態(我)、
何物にも汚されない清浄(しょうじょう)な状態(浄)、
以上の4つの状態に象徴される究極の境地。

・観心(かんじん)・・・
自分の心の本性を観察すること。

 
●本文
観心(かんじん)とは、自分の九界(くかい)を反省して仏界を自覚することです。
この観心は最高の智法です。
境法ではありません。

 
●解説

・九界
十界のうち、仏界以外の九つの世界。
悟りの世界である仏界と迷いの世界である九界を合わせて十界という。

・境法・・・
客観的に学問をすること。
科学的、西洋哲学的に分析をすること。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
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