{ ポイント }
仏教的「反省」 = 「深く考え、きちんと知ること」
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●本文の大意
「反省」は、
「省(かえり)みる」=「顧(かえり)みる」から、
「自分の行動を振り返って、良くなかった点を改善しようと心がけること」
という意味で使われるようになったが、
もともと「反省」とは「沈思量知」のことを指した。
「沈思」は、
「考えることに沈む」→「深く考える」で、
内省、内観、仏教的自己反省のこと。
「量知」は、「量(はか)って知る」。
よって「沈思量知」は、
「深く考え、きちんと知る」ということになる。
沈思量知を縮めて「思量」という用語があり、
「此れ即ち不可なり――何(いか)に為(せ)ん何に為ん学者思量せよ」(末法相応抄)という風に使われていた。
「学ぶ者よ、深く考え、きちんと知れ」と言うことである。
だから「仏法は反省自覚法だ」は、
漢語風に言うと
「仏法は沈思量知唯自覚了法なり」という事になる。
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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』
(アクセス日:2017/8/24)