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佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

現代諸学と仏法 2

〈キーワード〉
観心

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●本文
己心(こしん)を観じて、十法界を見る。そして仏界を得る。
これが観心(かんじん)である。

 
●解説

・観心(かんじん)・・・
心を観ずる。
己の心を観ずる。

・観心(かんじん)の目的は究極の心的境地を得ること。

●本文
信心を以て観心とするのが下種(げしゅ)仏法。
しかし、「信心しました」、「だけど反省はしません」という下種仏法では、己心に十法界は見えない。
それは、観心とは言えない。信心とも言えない。

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●解説

・信心
信ずること。

・下種・・・
・成仏のための種を下すこと。
・仏種を下すこと。

・成仏 = 仏界を得ること = 究極の心的境地を得ること
・種 = 原因
・種(たね)を下す = 種を植え付ける = 縁を結ぶ = 結縁(けちえん)する

・「観心」する唯一の道は、「反省」して、「自覚」をすることである。
・「反省」と「自覚」を通して、「観心」(己の心の本性を観察)し、「真実を明らか」にする。そして、究極の心的境地を得る。

 
《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/4/15)

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《今日の言葉》
「幸せの基盤は寝ること」

 
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佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

現代諸学と仏法 1

〈キーワード〉
観ずる

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●本文
真の観心(かんじん)は、反省→自覚でしか得られない。
これを「得意」という。
観心(かんじん)は反省自覚なり。
推理、つまり論理考察からは、決して観心は得られない。

 
●解説

・観心(かんじん)・・・
自分の心の本性を観察すること。
観心をすることで「真実を明らか」にする。

・得意・・・
意を得る → 意図するところ(真実を明らかにすること)を実現する

・推理・・・
既知(きち)の事柄を基にして、思考の筋道を辿(たど)って、未知の事柄を推(お)し量(はか)ること。
(同義) 既知の事柄を基にして、新しい一つの判断を下(くだ)すこと。

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●本文
己心(こしん)を観じて、十法界を見る。そして仏界を得る。

 
●解説

・己心・・・
自己の心。

・観ずる・・・
確(しっか)りと集中して見る。対象と自己を同一化させる。

・観ずる、即(すなわ)ち観(み)ている時、人はその対象そのものになっている。
「観る」は、「見る」や「眺める」とは違う。
仏教成立以前は、「観」には「神人合一」(神と人の一体化)という意味が含まれていた。

・神人合一・・・
神と人との一体化。神と人との区別が無くなっている状態。

・十法界(じっぽうかい)の諸解釈・・・
① 迷いや悟りなど、人間の心の全ての境地(状態)を10種に分類したもの。
② 人間の精神状態を10種に分類したもの。
③ 人間の生命の全ての状態を10種に分類したもの。
④ 人間の生命には10種の生命があるというもの。
⑤ あの世の世界を10種に分類したもの。

・十法界は仏法の生命観の基本である。
十界(じっかい)、十界論、十方界とも言われる。

・仏界とは十法界の一つ。

・仏界の諸解釈
①真理を悟った者が体現した至極の境地。
②真理を悟った者の至極の心的境地。
③壊(こわ)れることのない自由自在の状態(常)、
生きること自体を楽しむ状態(楽)、
何物にも左右されない主体性がある状態(我)、
何物にも汚されることのない清浄(しょうじょう)な状態(浄)、
以上の4つの状態に象徴される至極の境地。

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《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/4/10)

 
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