なぜ持統天皇は天皇になったのか?
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夫は天武天皇。
持統天皇は、天皇になる資格はあったが、なる気はなかった。
では、なぜ天皇になったのか?
これは、推古天皇が天皇になった経緯と関わりがある。
推古天皇は、自分の息子を天皇にしたかった。
息子の竹田皇子(たけだのみこ)がある程度成長したら、位を譲るつもりで、天皇になった。
ちなみに、皇極天皇、斉明天皇は、天智天皇が天皇になれない理由があった(神道における祝詞の中に記されている罪を犯していた)ために、天皇にならざるを得なかった。
持統天皇は天武天皇との間に草壁皇子(くさかべのみこ)という息子がいた。
この息子を天皇にしたかった。
そして、ライバルの大津皇子(おおつのみこ) を謀反の疑いをかけて殺した。
しかし、草壁皇子は病いで亡くなった。
それで、草壁皇子の孫が大人になるまで持統天皇は中継(なかつ)ぎとして天皇をした。
初めて太上(だじょう)天皇になった。
つまり、太上天皇の例が持統天皇でつくられた。
しかも女帝でつくられた。
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≪参考文献≫
・竹内睦泰 (2016)『古事記の宇宙』青林堂
・渡部昇一 (2011)『決定版・日本史』扶桑社
・井沢元彦 (1997)『逆説の日本史〈1〉古代黎明編』小学館