カテゴリー
神話【かみかたり】(神話)

古事記(ふることふみ)57

{キーフレーズ}
日本(やまと)の統一

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●原文
包八荒
【ほう はっ こう】

●原文(現代字体・現代仮名遣い)
(同上)

●書き下し文
八もの荒まりを包ねたまひき。
【やも の きはまり を かねたまひき】

●書き下し文(現代字体・現代仮名遣い)
八もの荒まりを包ねたまいき。
【やも の きわまり を かねたまいき】

●訳
国の隅々まで統べられた。
【くに の すみずみ まで すべられた】

●解説
・八荒・・・
国の八方の荒れ果てたところ。国の隅々。

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《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/8/1)
・古事記をそのまま読む

(アクセス日:2017/8/1)
・南さんちの「つれづれなる記」
(本居宣長大人著『古事記伝』を読んでみよう:第137回)

(アクセス日:2017/8/1)

 
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神話【かみかたり】(神話)

古事記(ふることふみ)56

【キーワード】
あめ(天)

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

 
●原文

得(とく)天(てん)統(とう)而(じ)

【得天統而】

 
●原文(現代字体・現代仮名遣い)

(同上)

 
●書き下し文

天(あめ)の統(すじ)を得(え)て、

【天の統を得て、】

 
●書き下し文(現代字体・現代仮名遣い)

(同上)

 
●ふることとき(古語訳き)

くらゐ(位)につ(即)き、

[いまこととき(今語訳き)] 天皇(すめらき)の位(くらい)に即(つ)いて、

 
【 ●古言訳き

くらゐにつき、

[今言訳き] 天皇の位に即いて、 】

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●「あめ(天)」のこころ(意)・・・

[ふること(古言)] あめ(天)のうへ(上)のさかひ(境)。

[いまこと(今言)] 天(あめ)の上(うえ)の界(さかい)。

【 ●「あめ」のこころ・・・

[ふること] あめのうへのさかひ。

[いまこと] 天の上の界。 】

 
●あまつひつぎ(天津日嗣)・・・

天皇(すめらき)の位(くらゐ )を嗣(つ)ぐを云(い)ふ。

【 ●あまつひつぎ・・・

すめらきのくらゐをつぐをいふ。 】

 
●ふること(古言)「すめらき」(なことは(名詞) )にあ(当)つるからしるし(漢記)・・・

皇(すめらき)

【 ●ふること「すめらき」(なことは)にあつるからしるし・・・

皇(すめらき) 】

 
●ふること(古言)「すめる」(うごきことは(動詞) )にあ(当)つるからしるし(漢記)・・・

統(す)める,総(す)める

【 ●ふること「すめる」(うごきことは)にあつるからしるし・・・

統(す)める,総(す)める 】

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●「す」のおとたま(音霊)・・・

ひとかた(一方)にすす(進)む。

[いまこと(今言)] 一(ひと)つの方向(ほうこう)へ進(すす)む。

【●「す」のおとたま・・・

ひとかたにすすむ。

[いまこと] 一つの方向へ進む。】

 
《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/6/11)
・古事記をそのまま読む

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(本居宣長大人著『古事記伝』を読んでみよう:第137回)

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神話【かみかたり】(神話)

古事記(ふることふみ)54

【キーフレーズ】
政(まつりごと)と徳

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( 正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと
[現代字体・現代仮名遣い]を併記 )

●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
道軼軒-后

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
道軒后に軼(す)ぎ。

●原文 2
道軼軒后
ドウ イツ ケン コウ
[ 道軼軒后
ドウ イツ ケン コウ ]

●書き下し文 2
道は軒后に軼ぎ、
みち は けんこう に すぎ
[ 道は軒后に軼ぎ、
みち は けんこう に すぎ ]

●訳 1
天武天皇の行った政道は、黄帝に優(まさ)り、

●訳 2
その道は、黄帝を越え、

●解説
・軼(読み)・・・
イツ,(す)ぎる
・軼(意味)・・・
抜きんでる。優(すぐ)れる。優(まさ)る。
・軒后(けんこう)・・・
漢民族の始祖といわれる伝説上の皇帝。
天武天皇の時代より3000年以上前に、漢民族最初の統一国家を建設したといわれている。
姓は姫、名は軒轅(けんえん)。
軒后=軒皇。

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●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
徳跨周-王

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
徳周王に跨(こ)えたまふ。

●原文 2
德跨周王
トク コ シュウ オウ
[ 徳跨周王
トク コ シュウ オウ ]

●書き下し文 2
德は周王に跨えたまふ。
とく は しゅうおう に こえ たまふ
[ 徳は周王に跨えたもう。
とく は しゅうおう に こえ たもう ]

●訳
徳は周王を越えている。

●解説
・周王・・・
周の文王。
仁政を行い、儒家(じゅか)の模範とされた。

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《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/23)
・古事記をそのまま読む

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(本居宣長大人著『古事記伝』を読んでみよう:第136回)

(アクセス日:2017/5/23)

 
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神話【かみかたり】(神話)

徐福伝説

【ポイント】
・徐福=神武天皇
・約束の地
・和合の精神
・天津神と国津神の融合

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シベリアから南下してきた縄文人が日本列島各地で暮らすようになっていた紀元前200年頃の話。

中国大陸を統一していた始皇帝は、ユダヤ教聖書に記されている約束の地を求めて、徐福に蓬莱国(日本)に向かうように命じた。

始皇帝も徐福も、失われたユダヤ10支族のうちのガド族の末裔。

1回目の日本上陸では、全体の地形を把握するために日本各地を見て回る。

2年後、徐福は、10万人を率いて、再び日本へ。

瀬戸内海を通り、淡路島に上陸。

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徐福の目的は、出来るだけ戦(いくさ)を避けながら日本を統一し、「約束の地」をつくること。
そのために、原住民族に米作りや機織りを教えることで、交友関係を築こうと考えた。

淡路島では、田畑を耕し大規模な農業を展開。
日本を統一するための態勢を整えた。

数十年を経て、四国へ渡る。

四国では、徐福集団は民に稲作を教えることで交流を深め、数年後には四国の民衆が徐福を崇めるほどになった。
言語も原住民の言葉を取り入れ、自国語を押し付けなかった。

四国において兵力を増強した後、九州に入る。
高千穂の峰では、九州を平(たい)らげることを神に誓った。

しかし、薩摩隼人(現在の鹿児島県、宮崎県に居住)、熊襲(現在の熊本県に居住)、土蜘蛛などの蛮族がいたため、平定には困難を極めた。

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そのため、方向転換をし、葦原中津國(あしはらのなかつくに)(現在の中国地方)に進軍し、武力衝突なく征服。
これが神武東征。

ここで徐福は、民族和合の信条を基に、天津神と国津神を融合させた。

天津神 = 徐福(渡来系民族,ユダヤ民族)が崇める神,ユダヤ教聖書の神。
国津神 = 縄文人(原住民,土着民)が崇める神々。

そして、原則として、神社の内宮には天津神、外宮には国津神が祭られることになった。

神社には、2匹の蛇の交尾を表す注連縄(しめなわ)が鳥居に飾られ、蛇の目を表す鏡が神殿に置かれた。
これは、縄文人の自然信仰、森信仰、蛇信仰を徐福が尊重したことによる。

また、天津神を守護する2頭の獅子(ライオン)が神殿の前に置かれた。

その後、徐福は日本を統一し、徐福集団は天孫族、徐福は神武天皇と呼ばれることとなった。

徐福のまたの名はジョセフである。

 
《参考文献等》
・中杉弘 (2014)『日本建国の謎に迫る』風塵社
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/20)

 
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神話【かみかたり】(神話)

古事記(ふることふみ)53

【キーフレーズ】
天皇に即位

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(正字体・大和言葉の歴史的仮名遣いと[現代字体・現代仮名遣い]を併記)

●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
清-原大-宮

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
清み原の大宮にして

●原文 2
淸原大宮
セイ ゲン タイ グウ
[ 清原大宮
セイ ゲン タイ グウ ]

●書き下し文 2
淸原の大宮にて、
きよみはら の おほみや にて
[ 清原の大宮にて、
きよみはら の おおみや にて ]

●書き下し文 3
淸原の大宮にして、
きよみはら の おほみや にして
[ 清原の大宮にして、
きよみはら の おおみや にして ]

●訳
(大海人皇子は)飛鳥浄御原宮あすか の きよみはら の みやにおいて、

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●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
昇即天-位

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
昇て天位に即(つ)きたまふ。

●原文 2
昇卽天位
ショウ ソク テン イ
[ 昇即天位
ショウ ソク テン イ ]

●書き下し文 2
昇りて天位に卽きたまひき。
のぼりて あまつくらゐに つき たまひき
[ 昇りて天位に即きたまひき。
のぼりて あまつくらいに つき たまいき ]

●訳 1
即位された。

●訳 2
大海人皇子おおあまのみこ飛鳥浄御原宮あすか の きよみはら の みや)において天皇に即位された。

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●解説(本居宣長『古事記伝』より)
歳次大-梁。月踵夾-鍾。清-原大-宮。昇即天-位。
・歳大梁に次り。月夾鍾に踵(あた)りて。清み原の大宮にして。昇て天位に即(つ)きたまふ。
大梁は、十二次の内の昴宿(ボウノホシ)の次(ヤドリ)にて、昴は二十八宿の中の西ノ方の星、酉は西ノ方なればなり。
夾鐘は、十二律の中の二月の律なり。
さて書紀を考るに、此ノ天皇、癸酉ノ年二月癸未【二十七日】に御位に即(ツキ)ませり。
(意訳:
「大梁」は、十二次(じゅうにじ)の内の昴宿(ぼうのほし)の次(やど)りで、昴は二十八宿の中の西の方の星、酉は西の方角である。
夾鐘は、十二律の中の二月の律である。
日本書紀から考えて、この天皇は、癸酉ノ年二月癸未(二十七日)に御位に即位したことになる。)

 
《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/17)
・古事記をそのまま読む

(アクセス日:2017/5/17)
・南さんちの「つれづれなる記」
(本居宣長大人著『古事記伝』を読んでみよう:第136回)

(アクセス日:2017/5/17)

 
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神話【かみかたり】(神話)

石と龍神

【キーワード】
大昔・石・龍神

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●岐阜県の民話

ある村でのむかし話。
隣り村から新しくやって来た男が、家を建てるところを探していました。
幾日かして、良さそうな所を見つけましたが、石が一つだけ邪魔で、取り除こうとしていました。
それを見ていた他の村人が「その石は見た目は普通の石じゃが、昔は依代(よりしろ)にしておった石じゃから、動かさんほうがいいと思うが」と言いました。
しかし、どうしてもそこに家を建てたい村人は、構わず石をどかして家を建ててしまいました。
村人が家に住みはじめて幾日が過ぎたある夜、夢の中に龍神が現れました。
龍神「石を元の所に戻しなさい。大昔、ここに居た者たちが陽(ひ)の神を崇(あが)め、あの石は依代(よりしろ)だった。我はあの石に宿っている龍神である。石を守っている龍神である」
村人は翌朝起きて直ぐに、庭に飛び出して、動かした石を元あった所に戻しました。
その日から、村人は毎日、石に手を合わせ、それは代々引き継がれていきました。

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●この民話にまつわる話

旧国道沿いには、今では色々なお店が建ち並んでいます。
その中には、頻繁にお店が変わってしまう場所があります。
そのような場所は、昔、庚申塚の石が置かれていた場所が多いです。
明治時代に、国は庚申信仰を迷信と決めつけて、街道沿いに置かれた庚申塚の石の撤去を勧めました。
さらに1960年代から始まった道路の拡張整備によって、残った庚申塚の石のほとんどが、取り去られたり、別の場所に移されたりしました。
その中には、大昔の石もあり、それは太陽の神様に宿っていただくための石(依代 -よりしろ-)だったといわれています。

 
《参考文献等》
・戸部民夫 (2004)『「日本の神様」がよくわかる本』PHP研究所
・柳田国男 (1983)『日本の昔話』新潮社
・折口信夫 (2002)『古代研究〈1〉祭りの発生』中央公論新社

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≪今日の言葉≫
まことことわりは神によってのみいたり、ひとの及ぶところではない」
アルケシラオス

 
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神話【かみかたり】(神話)

古事記(ふることふみ)52

[キーフレーズ]
年と月

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(正字体・歴史的仮名遣いと[現代字体・現代仮名遣い]を併記)

●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
歳次大-梁

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
歳大梁に次り。

●原文 2
歲次大梁
サイ ジ タイ リヤウ
[歳次大梁
サイ ジ タイ リョウ ]

●書き下し文 2
歲、大梁に次り、
さい たいりやう に やどり
[ 歳、大梁に次り、
さい たいりょう に やどり]

●訳
そうして、酉の年、

●解説
・「歳」は歳星(さいせい)。木星の別名。
中国において、木星の公転周期12年も基(もと)にして、12年周期法(十二次 – じゅうにじ – )を用いた時代があった。
それぞれの位置に名前を付けた。「大梁(たいりょう)」はその内の一つ。
「大梁」は昴(すばる)の漢名。昴は西の方角にある。
「酉」は西の方角を表す。
木星が昴の方角に宿る年を酉年という。
つまり、「歳、大梁に次り」とは、「酉年に」という意味になる。

●解説(本居宣長『古事記伝』より)
歳次大-梁。
歳大梁に次り。
大梁は、十二次の内の昴宿(ボウノホシ)の次(ヤドリ)にて、昴は二十八宿の中の西ノ方の星、酉は酉ノ方なればなり。
(意訳;
「大梁」は、十二次(じゅうにじ)の内の昴宿(ぼうのほし)の次(やど)りで、昴は二十八宿の中の西の方の星、酉は西の方角である。)

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●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
月踵夾-鍾

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
月夾鍾に踵(あた)りて

●原文 2
月踵夾鐘
ゲツ シヤウ ケフ シヤウ
[ 月踵夾鐘
ゲツ ショウ キョウ ショウ]

●書き下し文 2
月、夾鐘に踵り、
つき けふしやう に あたり
[ 月、夾鐘に踵り、
つき きょうしょう に あたり ]

●訳
二月に、

●解説
・夾鐘(きょうしょう)・・・
陰暦二月の別名。

●解説(本居宣長『古事記伝』より)
月踵夾-鍾。
月夾鍾に踵(あた)りて。
夾鐘は、十二律の中の二月の律なり。
さて書紀を考るに、此ノ天皇、癸酉ノ年二月癸未【二十七日】に御位に即(ツキ)ませり。
(意訳:
夾鐘は、十二律の中の二月の律である。
日本書紀から考えて、この天皇は、癸酉ノ年二月癸未(二十七日)に御位に即位したことになる。)

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《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/5/1)
・古事記をそのまま読む

(アクセス日:2017/5/1)
・南さんちの「つれづれなる記」
(本居宣長大人著『古事記伝』を読んでみよう:第136回)

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神話【かみかたり】(神話)

注連縄(しめなわ)と霊

【キーフレーズ】
逆の注連縄

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●左末右本の注連縄

一般的な形態。
穢れた人間や霊が神域に入って来られない様に、張り巡らす。

 
●左本右末の注連縄

御神霊が内から外に出れない様に張り巡らされてる。
御神霊が外に出れないように閉じ込めている。

 
●左本右末の注連縄が張られている神社の話

島根県出雲地方のとある神社。
神明神社。
山の上にある。
山を下り、浜辺まで続く道が参道となっている。
鳥居は三基。境内、山麓、浜辺にある。

表向きは天照大御神を祭っているが実際は御霊信仰(ごりょうしんこう)。
明治時代に、役人が調査したが、御祭神が分からなかったため、神明神社としてしまった。
御霊信仰とは祟り神、悪霊、怨霊と言われる悪い神様をお祀りして鎮めることで、良い神様に変えて信仰するというもの。

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海は異海(異界)と繋がっているため、海の方から、見えないものが往々にしてやって来る。
特に、この神社周辺の地域は、地形や潮のせいで、海岸に滞留する。
溜まり過ぎると、町に溢れ出して、町中での禍災(かさい)や漁業船の事故が多発する。
そのため滞留する前に、人間の側(がわ)から御神霊をお迎えして神社に祭っている。

祭事は、大晦日から元旦にかけて行われる。
参加者は、各家の当主(男子に限る)のみ。
心身を清め、羽織袴に着替えた後、海岸へ集合。
開始は21時。
宮司が海に向かって祝詞をあげ、御神霊をお迎えする。
その後、宮司を先頭に参道を通り境内まで進む。
御神霊に、社殿に鎮座して頂く。
その後、御神霊に歌舞を披露したり、明け方まで、御神霊と食事を共にさせていただく。

 
《参考文献等》
・戸部民夫 (2004)『「日本の神様」がよくわかる本』PHP研究所
・柳田国男 (1983)『日本の昔話』新潮社
・折口信夫 (2002)『古代研究〈1〉祭りの発生』中央公論新社

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≪今日の言葉≫
「神のみを怖(おそ)れよ」
ビスマルク

 
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神話【かみかたり】(神話)

古事記(ふることふみ)51

[キーフレーズ]
舞(ま)いと歌(うた)詠(よ)み

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(正字体・歴史的仮名遣いと[現代字体・現代仮名遣い]を併記)

●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
巻旌戢戈

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
旌を巻き戈を戢(をさ)め

●原文 2
卷旌戢戈
クワン シヤウ シユウ クワ
[ 巻旌戢戈
カン ショウ シュウ カ ]

●書き下し文 2
旌を卷き戈を戢め
はた を まき ほこ を をさめ
[ 旌を巻き戈を戢め
はた を まき ほこ を おさめ ]

●訳 1
旗を巻き、戈(ほこ)を収めて、

●訳 2
軍旗を巻き、武器を片づけて、

●言葉の意味
・卷[ 巻 ](読み)・・・
クワン
まき,ま(く)
[ カン
まき,ま(く) ]
・旌(読み)・・・
シヤウ,セイ
あらは(す),はた
[ ショウ,セイ
あらわ(す),はた ]
・戢(読み)・・・
シユウ
をさ(める),あつ(める)
[ シュウ
おさ(める),あつ(める) ]
・戈(読み)・・・
クワ
いくさ,ほこ
[ カ
いくさ,ほこ ]

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●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
儛-詠停於都-邑

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
儛詠して都邑に停(とま)りたまふ。

●原文 2
儛詠停於都邑
ブ エイ テイ ヨ ト イウ
[ 儛詠停於都邑
ブ エイ テイ ヨ ト ユウ ]

●書き下し文 2
舞詠して都邑に停まりたまひき。
ぶえい して という に とどまり たまひ き
[ 舞詠して都邑に停まりたまいき。
ぶえい して とゆう に とどまり たまい き ]

●書き下し文 3
舞ひ詠ひて都邑に停まりたまひき。
まひ うたひ て という に とどまり たまひ き
[ 舞い詠いて都邑に停まりたまいき。
まい うたい て とゆう に とどまり たまい き ]

●訳 1
踊り歌い、都に滞留された。

●訳 2
戦勝を祝して舞を踊り、歌を詠んだ。そして飛鳥の都に留(とど)まられた。

●訳 3
大海人皇子(おおあまのみこ)は飛鳥の都に凱旋(がいせん)され、舞を踊り、歌を詠まれた。

●言葉の意味
・儛[ 舞 ](読み)・・・
ブ,ム
ま(ふ)、まひ、もてあそ(ぶ)
[ ブ,ム
ま(う)、まい、もてあそ(ぶ) ]
・詠(読み)・・・
エイ
よ(む) ,うた(ふ)
[ エイ
よ(む),うた(う)]
・停(読み)・・・
テイ
とど(まる),と(まる)
[ テイ
とど(まる),と(まる) ]
・於(読み)・・・
ヲ,ヨ
を(ひて)
[ オ,ヨ
お(いて) ]
・都(読み)・・・
ト,ツ
みやこ
[ ト,ツ
みやこ ]
・邑(読み)・・・
ワウ,イウ
くに,みやこ,むら
[ オウ,ユウ
くに,みやこ,むら ]

●解説
都邑・・・
都(みやこ)。ここでは飛鳥の都を指す。

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《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/4/18)
・古事記をそのまま読む

(アクセス日:2017/4/18)
・南さんちの「つれづれなる記」
(本居宣長大人著『古事記伝』を読んでみよう:第135回)

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神話【かみかたり】(神話)

古事記(ふることふみ) 50

[キーフレーズ]
大海人皇子軍の帰国

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(正字体・歴史的仮名遣いと[現代字体・現代仮名遣い]を併記)

●原文 1(本居宣長『古事記伝』より)
愷-悌帰於華夏

●書き下し文 1(本居宣長『古事記伝』より)
愷悌して華夏に帰り

●原文 2
愷悌歸於華夏
グワイ テイ キ ヨ クワ クワ
[ 愷悌帰於華夏
ガイ テイ キ ヨ カ カ ]

●書き下し文 2
愷悌して華夏に歸り、
ぐわいてい して くわくわ に かへり
[ 愷悌して華夏に帰り、
がいてい して かか に かえり ]

●訳 1
大海人皇子軍は飛鳥(あすか)に凱旋(がいせん)し、

●訳 2
戦(いくさ)が終わり、緊張感も解けて安堵した気持ちになり、大和国(やまとのくに)に帰り、

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●言葉の意味
・愷(読み)・・・
クワイ,グワイ
やす(らか),たの(しむ)
[ カイ,ガイ
やす(らか),たの(しむ) ]
・悌(読み)・・・
ダイ,テイ
・歸[ 帰 ](読み)・・・

かへ(る)
[ キ
かえ(る) ]
・於(読み)・・・
ヲ,ヨ
を(ひて)
[ オ,ヨ
お(いて) ]
・華(読み)・・・
クワ,ケ
はな
[ カ,ケ
はな ]
・夏(読み)・・・
クワ,ゲ
なつ
[ カ,ゲ
なつ ]

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●用語の意味
・愷悌・・・
穏やかで安らいでいるさま。
・華夏・・・
①唐土(もろこし)。
②都。

●解説(本居宣長『古事記伝』より)(上の原文と無関係な箇所は省略)
乃放牛息馬。愷-悌帰於華夏。
・乃(すなは)ち牛を放ち馬を息(いこ)へ。愷悌して華夏に帰り。
放牛息馬とは、から國の周ノ武王が紂に勝(カチ)て後に、馬を崋山の南に帰(カヘ)し、牛を桃林の野に放チて、再服(フタゝビツカ)はぬことをしらせし故事(フルコト)なり。
(意訳:
「放牛息馬」とは、周の武王が紂に勝利した後、馬を崋山の南方に帰し、牛を桃林の野に放って、二度と使わないことを民に知らせた故事からきている。)

 
《参考文献等》
・次田真幸(1977)『古事記』講談社学術文庫
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/4/15)
・古事記をそのまま読む

(アクセス日:2017/4/15)
・南さんちの「つれづれなる記」
(本居宣長大人著『古事記伝』を読んでみよう:第135回)

(アクセス日:2017/4/15)

 
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