カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

プラマーナとは

{ キーフレーズ }
知るための手段

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
●プラマーナの語源…
「プラ」:動詞の前に付く接頭語。
「マー」:「知る」という意味。
「アナ」:動詞の後に付く接尾語。「手段」という意味。

●プラマーナの意味…
「プラ+マー(知る)」+「アナ(手段)」

「プラマーナ(知る手段。認識の手段。正しい認識の手段。)」

認識する(知る・正しい認識をする)ための手段(道具)。

●プラマーナ(知る手段)の例…
色や形を知るためには、「視覚」というプラマーナを使う。
音を知るためには、「聴覚」というプラマーナを使う。
明日の天気を知るためには、データを元にして、
それを論理的に処理して結果に導く「推論」というプラマーナを使う。
このように、プラマーナは何種類かに分類される。

●身体に与えられたプラマーナ…
視覚
聴覚
触覚
嗅覚
味覚

●五感から得たデータを元にしたプラマーナ…
推論

●●身体の外にあるプラマーナ…
言葉

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 

≪参考文献等≫
・末木文美士 (1996)『日本仏教史―思想史としてのアプローチ』新潮社
・サンスクリット語 一日一語
sanskrit-vocabulary.blogspot.jp/2015/04/pramanam.html
(アクセス日:2017/10/9)

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

観音経(かんのんきょう)19

●原文(正字体)
聞其稱觀世音菩薩名者
【●ゲンブン(セイジタイ)
モン ゴ ショウ カン ゼ オン ボ サツ ミョウ シャ】

●原文(現代字体)
聞其称観世音菩薩名者

●書き下し文
其の觀世音菩薩の名を稱ふるを聞かば
【●かきくだしブン
その カンゼオンボサツの なを となふるを きかば】
(「となふる」:ハ行下二段活用の動詞「となふ」の連体形。
「となふ」の活用例:「となへず/となへたり/となふ/となふるとき/となふれども/となへよ」
「(下一)るるれよ、(下二)るれよ、いいううう」より、下二段活用。
ハ行下二段活用:「へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ」
「を」:格助詞「を」。動作の対象を示す。直前語は連体形(体言)。)

●直訳
其(そ)の人が觀世音菩薩の名を稱(とな)えるのを聞けば、

●意訳
夜叉羅剎(ヤシャラセツ)に襲われた者が觀世音菩薩の名を稱(とな)えるのを夜叉羅剎が聞けば、

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 

≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

無量義経(ムリョウギキョウ)とは 2

●構成
三つの品

●登場人物
釈尊と大荘厳菩薩

●内容 1
釈尊と大荘厳菩薩との問答で話が進む。

●内容 2
読む人一人一人に併(あわ)せて、最も適切な行法(ギョウホウ)を教わることができる御経(おキョウ)。
限り無い行法を有する御経、
量(はか)りしれ無い義(行法)を有するお経ということで、
無量義経と呼ばれる。

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 

≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社

 
≪関連記事≫
無量義経とは 1

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

観音経(かんのんきょう)18

{ 内容 }
無尽意菩薩の質問に対する仏陀の答え
(観音様の名を唱えることにより,七難の一つを逃れられる話)

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
~現代字体~

妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品 第二十五
【ミョウホウレンゲキョウ カンゼオンボサツ フモンボン ダイニジュウゴ】

●原文
欲来悩人
【●ゲンブン
ヨク ライ ノウ ニン】

●書き下し文
来たりて人を悩まさんと欲するに
【●かきくだしブン
きたり て ひと を なやま さ ん と ほっする に】

●訳
(夜叉や羅刹が) 人を苦しめ悩まそうとしても、
【●ヤク
(ヤシャ や ラセツが) ひと を くるしめ なやまそう と しても】

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
~正字体(セイジタイ)~

妙法蓮華經 觀世音菩薩 普門品 第二十五
【ミョウホウレンゲキョウ カンゼオンボサツ フモンボン ダイニジュウゴ】

●原文
欲來惱人
【●ゲンブン
ヨク ライ ノウ ニン】

●書き下し文
來たりて人を惱まさんと欲するに
【●かきくだしブン
きたり て ひと を なやま さ ん と ほっする に】

●訳
(夜叉や羅刹が) 人を苦しめ惱まそうとしても、
【●ヤク
(ヤシャ や ラセツが) ひと を くるしめ なやまそう と しても】

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 

≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社
・『もりの学校』

(アクセス日:2017/9/10)

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

無量義経(ムリョウギキョウ)25

{ 内容 }
菩薩の人々に対する行為

{ ポイント }
・菩薩は,人々に少しずつ教えを学ばせて実践させる.
・易しい教えから入り,本格的な教えへと導く.

無量義經德行品第一 (正字体)
無量義経徳行品第一 (現代字体)
【ムリョウギキョウ トクギョウホン ダイイチ】

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
●原文
除世惱熱 (正字体)
除世悩熱 (現代字体)
【●ゲンブン
ジョ セ ノウ ネツ】

●書き下し文
世の惱熱を除き (正字体)
世の悩熱を除き (現代字体)
【●かきくだしブン
よ の ノウネツ を のぞき】

●意訳
世の人々の悩みを一つずつ取り除き、

 
●原文
致法清涼
【●ゲンブン
チ ホウ ショウ リョウ】

●書き下し文
法の清涼を致す
【●かきくだしブン
のり の ショウリョウ を いたす】

●訳
また菩薩は人々に教えを説き、心が清く涼しくなる喜びを味わわせる。

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
●解説・・・
・菩薩(ぼさつ)・・・
今、修行中の人。
悟りへ向けての修行中の人。

 
≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社
・『もりの学校』

(アクセス日:2017/9/8)

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

観音経(かんのんきょう)17

~現代言葉~

●原文
満中夜叉羅刹
【●ゲンブン
マン チュウ ヤ シャ ラ セツ】

●書き下し文
中に満つる夜叉羅刹、
【●かきくだしブン
なか に みつる ヤシャ ラセツ】
(「みつる」:タ行上二段活用の自動詞「みつ」の連体形.
「みつ」の活用例:「みちず/みちたり/みつ/みつるとき/みつれども/みちよ」)

●訳
(三千大千国土の)中に満ち満ちている夜叉や羅刹が、
【●ヤク
(サンゼンダイセンコクドの)なかに みちみちて いる ヤシャや ラセツが】

●解説
夜叉:魔物の一種.
羅刹:魔物の一種.
(●カイセツ
ヤシャ:マものの イッシュ
ラセツ:マものの イッシュ)

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
~大和言(やまとこと)~

●原文
滿中夜叉羅剎
【●もとあや
マン チュウ ヤ シャ ラ セツ】

●書き下し
中に満つる夜叉羅刹
【●かきくたし
なか に みつる ヤシャ ラセツ】
(「みつる」:タ行上二段活用の自動詞「みつ」の連体形.
「みつ」の活用例:「みちず/みちたり/みつ/みつるとき/みつれども/みちよ」)

 
≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社
・『もりの学校』

(アクセス日:2017/8/29)

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

無量義経(ムリョウギキョウ)24

~現代言葉~

無量義経徳行品第一
【ムリョウギキョウ トクギョウホン ダイイチ】

{ キーフレーズ }
悟りの門を開く

 
●原文
開涅槃門
【●ゲンブン
カイ ネ ハン モン】

●書き下し文
涅槃の門を開き
【●かきくだしブン
ネハン の モン を ひらき】

●訳
悟りへの門を開き
【●ヤク
さとり へ の モン を ひらき】

 
●原文
扇解脱風
【●ゲンブン
セン ゲ ダツ プ】

●書き下し文
解脱の風を扇ぎて
【●かきくだしブン
ゲダツ の かぜ を あふぎ て】

●訳 1
解脱の風を扇いで、
【●ヤク 1
ゲダツ の かぜ を あおい で】

●訳 2
解脱へと導く縁となり、
【ヤク 2
ゲダツ へ と みちびく エン と なり】

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
~大和言(やまとこと)~

無量義經德行品第一
【ムリョウギキョウ トクギョウホン ダイイチ】
量り無き義經德の行ひの品第一
【はかり なき よしつね のり の おこなひ の しな ダイイチ】

 
{ 手掛かり言 }
悟りの門お開く
【{ てかかり こと }
さとり の かと お ひらく】

 
●原文
開涅槃門
【●もとあや
カイ ネ ハン モン】

●大和文
涅槃の門お開き
【●やまとあや
さとり の かと お ひらき】

●訳き
悟りへの門お開き
【●とき
さとり へ の かと お ひらき】

 
●原文
扇解脫風
【●もとあや
セン ゲ ダツ プ】

●大和文
解脫の風お扇きて
【●やまとあや
とき の かせ お あふき て】

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 

≪参考文献≫
・三木随法 (2002)『真訓対照 法華三部経』東方出版
・やまとことばのみちのく

(アクセス日:2017/8/24)

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

現代諸学と仏法 12

{ ポイント }
仏教的「反省」 = 「深く考え、きちんと知ること」

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
●本文の大意

「反省」は、
「省(かえり)みる」=「顧(かえり)みる」から、
「自分の行動を振り返って、良くなかった点を改善しようと心がけること」
という意味で使われるようになったが、
もともと「反省」とは「沈思量知」のことを指した。

「沈思」は、
「考えることに沈む」→「深く考える」で、
内省、内観、仏教的自己反省のこと。

「量知」は、「量(はか)って知る」。

よって「沈思量知」は、
「深く考え、きちんと知る」ということになる。

沈思量知を縮めて「思量」という用語があり、
「此れ即ち不可なり――何(いか)に為(せ)ん何に為ん学者思量せよ」(末法相応抄)という風に使われていた。
「学ぶ者よ、深く考え、きちんと知れ」と言うことである。

だから「仏法は反省自覚法だ」は、
漢語風に言うと
「仏法は沈思量知唯自覚了法なり」という事になる。

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 

《参考文献等》
・石田次男, 本橋雅史(1986)『現代諸学と仏法』日経企画出版局
・中村元(翻訳)(1958)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店
・『中杉 弘のブログ』

(アクセス日:2017/8/24)

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

観音経 (かんのんきょう) 16

~現代言葉~

●原文
而得解脱
【●ゲンブン
ニ トク ゲ ダツ】

●書き下し文
解脱することを得ん。
【●かきくだしぶん
ゲダツする こと を え ん】

●訳
逃れることができる。

 
●原文
若三千大千国土
【●ゲンブン
ニャク サン ゼン ダイ セン コク ド】

●書き下し文
若し三千大千国土に、
【●かきくだしブン
もし サンゼンダイセンコクド に】

●訳
もし三千大千国土の中に

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
~大和言(やまとこと)~

●原文
而得解脫
【●もとあや
ニ トク ゲ ダツ】

●書き下し
解脫かるるお得む
【●かきくたし
とか るる お え む】

( 「解脱(と)か」:「放つ,離す」の意.動詞「解脱く」の未然形.  
「るる」:受身の助動詞「る」の連体形.直前語は未然形.
「む」:推量の助動詞「む」の終止形.直前語は未然形. )

 
●原文
若三千大千國土
【●もとあや
ニャク サン ゼン ダイ セン コク ド】

●書き下し
若し三千大千國土に
【●かきくたし
もし サンゼンダイセンコクド に】

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 

≪参考文献≫
・坂本幸男 (翻訳), 岩本裕 (翻訳) (1976)『法華経』岩波書店
・鎌田茂雄 (1991)『観音経講話』講談社
・『もりの学校』

(アクセス日:2017/8/24)

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ

カテゴリー
佛の敎へ【ほとけのをしへ】(佛敎)

さいこうの法華経講座 1

{ 手掛かり言葉 }
己か何者なるか
【 { てかかり ことは }
おの か なにもの なる か 】

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 
何故に法華三部経を読み解くか
一語一語解くうちに
常しなえなる仏に会ひ
しかし己か何者なるかを覚り
この世に於ける生き方を学ふ
【 なにゆえ に のり の はな みつへ の のり を よみとく か
ひとこと ひとこと とく うち に
とこしなえ なる ほとけ に あひ
しかし おの か なにもの なる か を さとり
このよ に おける いきかた を まなふ 】

(解き
のり の はな みつ へ の のり:法華三部経
常しなえたる仏:久遠本仏
しかし(然し):そして
【とき
のりのはなみつへののり:ホッケサンブキョウ
とこしなえ たる ほとけ:クオンホンブツ
しかし:そして】)

[ad#a-auto-1]
[ad#a-336-1]

 

≪参考文献等≫
・三木随法 (2002)『真訓対照 法華三部経』東方出版
・『さいこうの法華経講座 無量義経 徳行品 第1(1)』(youtube動画)

 
≪関連記事≫
法華三部経(ほっけさんぶきょう)とは
法華経とは
五時(ごじ)とは
釈尊の考え 1
釈尊の考え 2

 
↓応援クリック、いつもありがとうございます。
にほんブログ村 その他日記ブログへ